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人類とは愛に溢れた生き物である 後編


前のブログの続きです。

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インターネットと秩序

無秩序の世界というのはイメージしにくく、例えばそこに人がいて銃があって、殺しても罪にならないという状況で、じゃあ殺すかというと殺さないですよね。人間はみんなそうだと思います。

こういった無秩序の世界というのは経験したことないですが、インターネットというのもある意味、擬似的な無秩序空間であるように思えます。今でこそ漫画村の件やネット上での誹謗中傷などが社会問題になっていますが、それはインターネットという世界がこの現代社会にそれだけ寄り添うようになった結果でもあるかなと思います。

インターネットだって、知らない人がいきなりネット上で知り合ったところで、罵り合いが始まるわけではありません。ただ、ちょっとしたきっかけがあるといきなり暴力的になる面もあります。前のブログで触れた漫画でも、同じように人と人がいきなり暴力的になるわけではなく、ちょっとしたきっかけから人が変わっていく面をとらえています。

人類は凶暴な生き物なのか

完全な無秩序な空間での極限状態では、いったいそこには何があるのでしょうか。

インターネットに置き換えると、当然ながら罵り合いや暴力もあります。インターネットに関しての暴力というのは、民衆による「善意の暴力」というのも当てはまります。これはどういうことかというと、直近の例でいいますと「漫画村の何が悪いんだ。使って当たり前!」という趣旨のツイートをした人を大勢でフルボッコにするようなことです。みんな攻撃的になるのは元々凶悪だからではなく、むしろ逆に正義感にあふれた善意の行いから来ているものです。これがまさに「善意の暴力」なのです。

現実世界でも以前はこういったことはありました。しかし現在は私刑は禁止されています。罰を下すのは法律なのです。なので、例えばコンビニで万引きする人がいて捕まえたとしても、店員さんや周りのお客さんがその人をフルボッコにしてはいけないのです。そうやって社会は成熟されていきます。

少し脱線しましたが、インターネットの話に戻ります。

例えばYahoo知恵袋のような、善意でわからないことを教え合うような空間もありますし、Wikipediaのように知識を公共物とするような空間もあります。例えばWikipediaに情報をまとめたり修正をしたりしたところで、お金をもらえるわけではありません。こういったものも、もっと知ってほしい、正しく知ってほしいという善意から生まれているものです。ただただ無秩序であれば凶暴凶悪になるのでしたら、そんなものも生まれるはずもありません。こういったところに、無意識無秩序な状態での人間の本性も見え隠れします。

新しい人類へ

人もきっと進化しています。進化というのは肉体的、いわば物質的な面だけではありません。以前は動物のように殺し合い、奪い合う生き物だったことでしょう。きっと人類は進化することで、精神的にも成熟した新人類へとなるのではないかと思います。

精神的に進化すると、人類はまた次のステージへ行きます。全ての肉体を脱ぎ捨て、物質的なこだわり、制限から解き放たれます。それが、人類の新たな宇宙への旅立ちです。

とまぁ少々ぶっ飛んだところはいいとして、自分としては希望的観測も含めて、人間とは愛と善意に溢れ、精神的にも成熟した、とても素晴らしい種族だと思いたいなと。人間なんて滅んだほうが地球のためだ、という考え方もありますが…

できるだけポジティブに人間を見たい。世の中の平和を願っています。そういうことです。

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