QUESTIONより:化学調味料とドラムレコーディングから考える現代


QUESTIONより

摩天楼の苑さんはキャンドルがお好きと以前テレビで紹介され、炎は独特の揺らめきが癒し効果ですが火の取り扱いって恐いですよね!最近息を吹き掛けると消えるLEDキャンドルを見掛けました。これなら本物っぽいかなぁと思うのですが彩雨さんはどう思われますか?


息を吹きかけると消えるLEDキャンドルですか。これは面白いアイデアですね。

必要ある?ってところがいい

息を吹きかけると消えるキャンドルですが、LEDのライトなんだからどこかにスイッチがあればいい、というのが本来なところです。わざわざ息を感知してスイッチにするなんて面倒な技術開発は不要なのです。

ですが、その一見意味がないように思われること、というのが面白いのです。

本物と疑似の境目に今がある

テクノロジーの発達は、疑似の発達でもあります。疑似というとニセモノっぽい感じがしますが、そういうネガティブな意味ではとらえたくないです。

テクノロジーが生み出した疑似は、このLEDキャンドルもそうでしょう。わざと炎のゆらぎを表現したライトとかも見たことあります。例えば化学調味料とかもそうですよね。人口肉とか。

音楽の世界でも、多くの楽器はサンプリングされ、コンピュータ上であらゆる楽器を鳴らすことができるようになっています。ギターもアンプシミュレータがかなり進化し、もう何で鳴ってるのかを判別できる人のほうが少ないのではないでしょうか。

テクノロジーの発達は、疑似を本物へと確実に近づけています。

一方で、その逆の現象も起きています。

例えばドラムのレコーディングやライブでも実際に叩いた音に別の音を重ねるなど、実際の人間が叩くドラムのバランスではありえないような音が現在のロックシーンの流行です。本物を疑似へと近づけるのです。

この二つの境目に、現代があるわけです。

この数十年間で化学調味料の味に親しんだ消費者がターゲットなのか、わんさかとお客さんの目の前で化学調味料をいれるラーメン屋があります。これはこれでとても美味しいんですよね。不思議なもので。

あれはニセモノ、あれは意味ない、あれは無駄、そうばっさりと否定するのは簡単な生き方です。すべてを肯定した上で、どう選択できるか、というのがこの選択肢が増えた現代で求められるバランス感覚なのでしょう。

本物は疑似のように、疑似は本物のように。これけっこう本質だと思ってます。