QUESTIONより:ライブの感動は忘れてしまうものでいい


QUESTIONより

ライブで感動したことも終わって書き残そうとする頃には曖昧になってしまいます。事件や事故も時間が経つにつれ必ず風化が懸念されます。忘れてしまう能力と記憶しておく能力、彩雨さんはどちらが強いですか?


事件や事故、災害、そして戦争…

こういったことをいつまでも風化させず、きちんと後世へ伝えることが、反省点となり未来へ活かすことになります。

しかしながら、たしかに人間とは忘れる生き物です。

人間は美化する生き物

人間は、美化する生き物です。多少のことでしたら、つらい記憶も「あの頃はそれも楽しかった」と美化することができます。

実は”思い出す”という行為は、コンピュータのようにデータをひっぱってくるだけではないのです。記憶というあいまいなモノを、さらに記憶で上書きするようなイメージです。

つまり、思い出せば思い出すほど、記憶はわずかではありますが上書きされていきます。

記憶を美化する方向で上書きされるのは、人間にとっての自己保護プログラムのようなものです。辛いことばかりでは生きていくのがしんどいですからね。

悪いことはさっさと忘れて、良いことを覚えていた方が精神衛生上、いいということです。

ちなみに、男性と女性では記憶の呼び出し方が違います。女性は”どう感じたか”で記憶をたどり、男性は”どこにいって何をしたか”で記憶をたどります。喧嘩するのは当たり前ですね!

風化させてはいけないものもある

とはいえ、風化させてはいけない記憶もあります。そのため、しっかりと残すということが大事になります。

昨今は映像技術も向上してまして、多くの事実をそのまま映像を通して鮮明に残すことも可能です。これはとても大事な技術です。

ですが、本当に大事なのは事実だけではなく、その事実を通して当時の人はどう考えたか、ということも含まれています。こういったところで”語り部”と呼ばれる人たちの必要があります。ですが、第二次世界大戦ももうすでにだいぶ昔のこと、あと100年もすれば、東日本大震災を経験した人もみんないなくなってしまうでしょう。事実、そして思いをどう風化させずに残すことができるのか、これが大事なことです。

ライブの感動

ライブもまたそうで、映像作品として残すことはできますが、これはあくまでフィルターを通して刻み込みなおす記憶でもあります。

そういう意味では、記憶も感情も、きっと一期一会なものなのでしょう。なので、本来は何かに残す、ということ自体がナンセンスなのかもしれません。

ライブの感動もあとから思い出せば思い出すほど、きっと美化されて曖昧になっていくものだと思います。ただ、そういう一期一会なやりとりもまた意味があるのかなと思いますけどね。

 

ちなみに、彩雨さんは忘れてしまう能力の方が圧倒的に強いです。都合の悪いことは一瞬で忘れます。忘れるというか、記憶にも刻み込まれません。スルーです。そうやって脳内を常にクリーンにしているのです。すっからかんです。それでいいのです。