[玉の輿の日]モルガンお雪の物語。モルガン財閥と京都の思わぬ関係、京都を救った女性


世界三大財閥ってロックフェラー、ロスチャイルド、あと一個なんだったっけ?って話を年末にJaYくんとしてました。ああそうだ、モルガン財閥ですね。

ちなみに三大財閥とか四大財閥とか、五大財閥とか、いろんな言い方がありますので、なにを選ぶかは諸説あるかもしれません。

金融界のモルガン財閥

JPモルガンといえば、どこか聞いたことある人も多いことでしょう。アメリカの強大な金融機関の一つです。日本でも戦前から事業展開をしています。関東大震災のときに発行した復興のための公債を引き受けてくれた会社でもあります。

アメリカの財閥というと石油系のロックフェラーと世界の金融を握っているといっても過言ではないロスチャイルドがやはり有名ですよね。ちなみにJPモルガン自体はロスチャイルド系統の会社になっています。

モルガンお雪

そんなモルガン財閥の創始者はジョン・ピアポント・モルガンです。ちなみにJPモルガンのJPはジョン・ピアポントを意味しています。

そのモルガンの甥にあたる人物が、ジョージ・モルガンです。

ジョージは日本に旅行に来た際に、京都で舞妓さんに一目ぼれします。それが後のモルガンお雪と呼ばれる人物で、加藤ユキという女性です。

ジョージは積極的なアプローチの末、4万円、現在の金額でいうところの8億円相当の見受け金を支払い、結婚することになります。当時お雪には川村という恋人がいましたが、破局となりました。

その後、横浜の総領事館で結婚式をあげます。なんと1904年の話です。

ちなみにこの結婚式を挙げた日は1月20日で、その名残で「玉の輿の日」と呼ばれています。

数奇な人生

夫ジョージとともにアメリカにわたりますが、当時は黄色人種への差別もひどく、また政情も不安定なタイミングでして、排日運動も行われていました。アメリカに帰化することはできませんでした。

そのためお雪はジョージとともにパリで暮らすことになりますが、後にジョージは病死してしまいます。1915年のことです。そこからお雪はフランスで静かに暮らすこととなります。

その後、お雪はパリ産業博覧会のために訪れていたかつての恋人、川村と再会することとなります。しかし、その後すぐに川村も心臓発作でなくなってしまうという悲しい出来事があります。

当時は第一次世界大戦、そして第二次世界大戦がはじまろうとしているところです。第二次世界大戦がはじまる前のタイミングで京都に戻ります。しかし無国籍者ということで、モルガン家の財産を引き継いではいましたが、特高警察により没収されてしまいます。

お雪は1963年に亡くなるまで、静かに京都で余生をおくることになります。

京都を救った女性

第二次世界大戦が勃発し、夫ジョージの出身国、アメリカと戦争することになります。京都は数回の空襲にあいます。

しかし京都は空襲で壊滅することはありませんでした。その理由として根強くいわれているのが、京都が原爆投下都市の候補であったからです。

お雪は夫の関係者を伝って、京都に爆撃をしないようにアメリカ政府に訴えた、という逸話があります。もちろん本当にあったかどうかなどわかりません。しかしモルガン財閥といえばアメリカでもかなりの力を持っています。本当にこういうことがあったかもしれませんし、今となってはわからない話です。結果として、みなさんもご存知の通り京都に原爆が落ちることはありませんでした。

今から100年以上前の国際結婚、モルガン財閥と日本人のつながり、戦争、まさに数奇な運命を送ったモルガンお雪。

京都に戻りカトリック信者となったお雪は、戦後戻ってきた財産のほとんどを寄付しました。その寄付によって建てられたカトリック衣笠教会には「テレジア・ユキ・モルガン」と彫られた白い十字架のお墓があります。今も静かに京都の町で眠り続けています。