これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです

こんにちは!

最近、「フキハラ」という言葉を耳にしました。世の中には様々なハラスメントの名称がありますが、フキハラとは「不機嫌ハラスメント」の略だそうです。

職場で不機嫌な態度をあからさまに出して周囲に気を遣わせたり、場の空気を悪くして萎縮させたりする行為を指すとのことでした。昔からどこの職場にもよくあった光景ではありますが、こうして新しい名前がつけられるあたりに現代らしさを感じます。

「何でもかんでもハラスメントと名づける風潮はどうなのか」という議論もしばしば見かけます。しかし、このフキハラという言葉をきっかけに考えてみると、物事が「言語化」されるプロセスには社会を前進させる非常に大きな意義があることに気づかされます。

チームの空気を左右する「機嫌」という要素

成果を出す良いチームづくりにおいて、職場のムードや心理的安全性は極めて重要です。特にリーダーや影響力のあるメンバーの機嫌は、そのままフロア全体の雰囲気に直結します。

誰かがため息をついたり、乱暴にキーボードを叩いたり、ピリピリしたオーラを出しているだけで、周囲は「何か怒っているのかな」「話しかけないほうがいいかな」と余計なエネルギーを消耗してしまいます。

厄介なのは、不機嫌を撒き散らしている当人に悪意や自覚がないケースが非常に多い点です。本人は単に集中しているだけ、あるいは感情をそのまま表に出しているだけのつもりでも、周囲には強いストレスと緊張を強いてしまっています。

もちろん人間ですから、誰しも虫の居所が悪い日はあります。感情を完全に押し殺すことはできませんが、度が過ぎる不機嫌の表出はチームのパフォーマンスを確実に削ぎ落としてしまいます。

なぜ「言葉」が生まれることが重要なのか

「なんでもハラスメント扱いするのは息苦しい」と感じる意見も理解できます。しかし、言葉が生まれることには「事象を認知させ、共通の物差しを作る」という決定的な役割があります。

かつての「セクハラ」や「パワハラ」、あるいは「ブラック企業」という言葉が登場したときのことを振り返ってみるとわかりやすいでしょう。そうした言葉が存在しなかった時代、理不尽な扱いを受けても「熱心な教育的指導」「社会人の厳しさ」といった耳触りの良い言葉で片付けられてしまうことが多々ありました。

しかし、パワハラという名前がつき、広く社会に定着したことで、初めて「これはやってはいけないことなんだ」「許されない振る舞いなんだ」という共通認識が社会全体に形成されました。

「言葉ができる(言語化)」→「問題として認識される」→「やってはいけないことだと理解が広まる」

このプロセスがあるからこそ、社会の基準やマナーは少しずつアップデートされていきます。

気づきのきっかけとしての「フキハラ」

フキハラという言葉が広まる最大のメリットは、個々人の「気づき」のトリガーになる点にあります。

言葉を知ることで、知らず知らずのうちに周囲を威圧していた人が「自分も無意識のうちにやってしまっていたかもしれない」と我が身を振り返る機会が生まれます。また、マネジメント層にとっても、「メンバーの誰かが不機嫌を撒き散らして職場の空気を壊していないか」を客観的な指標として見守り、適切なフォローを入れるきっかけになります。

言葉が増えすぎると窮屈に思える場面もありますが、言語化を通じてお互いの境界線や配慮すべきポイントを知ることは、結果として誰もが心地よく過ごせる環境づくりにつながります。

過剰に萎縮するのではなく、お互いが自然に気遣い合える前向きなチームをつくるためのヒントとして、こうした新しい言葉の背景にある本質を受け止めていきたいものです。