QUESTIONより:彩雨さんの考えるヴィジュアル系と音楽と宗教


QUESTIONより

彩雨さんこんにちは! 毎日の更新お疲れ様です。通勤の行き帰りにPANTHEON-PART 2-を聞きながらブログ拝見しています。 今日突然思ったことがありましたので、初めて質問させていただきます。よく「ヴィジュアル系の音楽は宗教みたいだ」と言われているのをよく見かけるのですが、音楽も広い目で見たら一種の信仰なのではないかと思いますが、彩雨さんはいかがでしょうか。 私個人は摩天楼オペラの音楽がめちゃくちゃ好きですし、心の支えになっています。これもまた信仰の類ではないかと思いますし、またバンギャ(ファン)が暴れているから第三者から見ると宗教的に見えるのかなとも思います。 そういった目線で考えると、フェス系やメタルなど他のジャンルのファンからみなどどのジャンルもファンにしてみれば宗教的なのでは…?と思った次第です。良かったら彩雨さんの考えをお聞かせください。


なるほど、まぁヴィジュアル系に限らず、音楽のコンサートに対してどこか宗教的なものを感じてしまう人の気持ちはわからないでもないですね。全員が完全に同じ動きをしているのを二階席から見ているのは、圧巻ですよ。

ちょっと宗教的という言葉もあやふやで誤解を招きそうですが、ニュアンスはなんとなく伝わってます。

音楽と宗教

諸説ありますが。彩雨さんの考える音楽の成り立ちは、音楽は祈りであるということです。

例えば狩猟に出る夫を見送る妻、無事に帰ってきてほしいと言葉に感情を乗せ、抑揚や音程を付けます。狩猟に成功し、喜ぶ男、この喜びを表現するために、言葉に感情を乗せ、抑揚や音程を付けます。こういったものが音楽の起源ではないかと思っています。彩雨さんの考える音楽の起源は、「音楽=祈りと感情」ということです。

さて、無事に帰ってきてほしい言葉、狩猟を喜ぶ言葉、これは誰に向けての言葉なのか。もちろん帰ってきてほしい相手や、もしくは自分たちへの言葉です。ですが、これが転じて神への言葉になります。無事帰ってこれるよう、神様にお願いする、狩猟に対する原罪を神に報告、感謝する、という感じです。この場合の神とはGODではなくもっとスピリチュアル的な存在です。原始人類の社会は今よりもっと土着的でスピリチュアル的な信仰があったと思われます。まぁ、日本では今でもどちらかというとそういう信仰イメージがありますけどね。

つまり、音楽は本来、神への祈りが発達したものであると考えています。(※彩雨さんの説です。根拠なし!)

まぁ、現在のヴィジュアル系音楽を含め、ポップス、ロック、ジャズ、クラシックなどの基礎理論は西洋音楽ですが、西洋音楽の起源はキリスト教音楽ですからね。そういう意味では一理ある、のかな。

はじめに音楽があった?

旧約聖書の創世記には「はじめに言葉があった」とあります。今回、さらに踏み込んだ仮説を打ち立てていこうと思います。まだ言葉が登場する前の時代、どのようにコミュニケーションを取っていたかはわかりませんが、おそらく声や身振りを使ってコミュニケーションを取っていたことでしょう。「あー」とか「うー」とかでやり取りをしていたと思います。もちろん、これは想像ですけどね。実は彩雨さんは言葉よりも先に音楽があったのではないかと考えています。

文化の成り立ちには、必ず自然模倣が行われます。これは音楽でも絵画でも建築でもそうです。自然が人間にとって、それだけ偉大な存在であり、同時に身近な存在であったということです。原始時代の人間が自然模倣をしたら、例えば鳥や虫の鳴き声で高い音を出したり、大きな動物の鳴き声で低い音を出したりすることを試みたのではないかと思います。その中で高い音、低い音の使い分けをマスターすると、感情を音程や声色で表現できたのではないでしょうか。そこから発展し言語へと進化していったのではないか、という自然模倣→音楽→言語という成り立ちパターンもありえるのかなぁ、と思います。(※彩雨さんの説です、さらに根拠なし!)

音楽とは感情の媒体である

人間には、いろいろな感情がまとわりついています。愛、怒り、悲しみ、さまざまです。それらの感情を何らかの形に変えて放出するための媒体が音楽です。音楽を通じて暴れて発散するのもそうでしょうし、音楽に自分の思いを重ねて涙するのもそうです。音楽を聴いて心を休めるのもそう、みんなで歌って楽しむのもそうです。現在ある音楽の大半は商業音楽ですし、大半は直接的に神様に何かを祈る内容のものではありません。でも、そういう原始的かつ根源的なところで考えると、昔から音楽の役割って変わってないのかな、とも思いますね。

そういう意味では、僕らミュージシャンは媒介者。自分たちを通して人が感情を放出する存在です。

なぜヴィジュアル系はメイクをするのか、というところでこういった考え方と宗教的な要素を合わせて考える考え方もありますが、彩雨さん自体はちょっとこれについてはちょいと否定的な考えもあります。実際のところ、よくわかってないんですが、またこれは別の機会に。