先日、メルメリーのツイートでこんなものがありました。
メルメリーは不思議なもので、その時の社会情勢のタイミングで過去記事を引っ張ってくることも多く、この自粛モードにふとした疑問を投げかけてくれます。
たしかに、ネットがない時代にコロナ騒動があったら、どうなっていたことでしょうか。
1980年代初頭をイメージ
ネット、といってもいつからネットかという話ではありますが、60年代にはネットの基礎はありました。しかしここでは80年代初頭をイメージし、話をしていきましょう。
なぜ80年代初頭かというと、一応理由はあります。
・ファミコンが普及するタイミング
・自宅でビデオを見るという文化が根付き始めたころ
・バブル期だと金がありすぎ参考にならないので、バブル直前であること
・音楽CDが登場し始めたころ、レコード、カセット、CDが混在
音楽では「ルビーの指環」「待つわ」などが大ヒット、テレビでは笑っていいともなどがスタートし、アニメではDr.スランプやキン肉マンがアニメ化し大流行していたころです。
ネットがない時代の自粛モード
一番の懸念点はここだけですが、自粛できるか、ということです。
表面上のことで考えると、ネットがないのでテレワークはできません。当時はまさに企業戦士という言葉がある時代で、早朝から終電までまさに「24時間戦えますか」という時代へ向かっていく最中です。
今ここで仕事を止めて自粛ができるか、これは難しいでしょうね。ましてや、部活で水を飲むのは悪と言われていた時代です。コロナなんぞに、となってもおかしくはありません。
エンタメの面ではどうでしょうか。ファミコンはもともと大ヒットでしたが、自粛と相まってそれ以上に大ヒットしていたかもしれませんね。ですが、今と違ってゲームの配信はできないので、店舗が自粛で営業停止となった場合、意外にもゲーム文化も発達しないかもしれません。
これは音楽でも同じで、配信で音楽が聴けず、街のレコード屋が自粛対象になった場合は、新しい音楽を聴くことはできません。
もちろん、ネット通販もできません。電話通販は需要を伸ばしたでしょうね。
その一方、テレビやラジオへの需要は高まります。しかし民放は今以上に広告ビジネスが多様化する前の時代であり、企業の体力低下の影響を真っ先に受けることになります。今の時代でも番組制作へ支障はでていますが、リモート出演などもちろんできません。
逆に街は人であふれる?
これはもう予想でしかありませんが、例えばライブハウスは80年代前半にはけっこうありましたよね。
バンドの宣伝なども今の時代とは全く違うわけで、ファンは雑誌などを通して自ら情報を取りに行き、ライブハウスに電話したり直接向かったりしながら音楽イベントが行われていました。
バンドの情報を取りに行く、という意味においては、最近の若いバンギャの方と40代、50代の往年ファンの方とは全く違う世の中になっています。
今でこそ例えば普通にライブでもしようものならすぐに特定されつるし上げられてしまいますが、もしかしたらネットがない時代でしたら、普通にライブをやっているところばかりだったかもしれません。
これは他の飲食業や小売店でもそうで、強制力がない自粛の場合は今のような自粛モードとはならず、普通にお店は開かれていたかもしれません。
もちろんこれらは想像の話ですが、その裏付けとしては、今よりも昔のほうが未成年の飲酒やたばこ、大人も飲酒運転が多かったという時代背景から、そう感じました。
デマは信憑性が高く、一本化する
今もデマは出現していますが、昔も間違いなくデマは出現します。
関東大震災のときも、デマにより多くの人命が暴行によって失われたという話もあります。
70年代あたりからテレビの各家庭での普及も重なり、情報の伝達手段もテレビと口コミがセットになって行われるようになりました。スピードはテレビは早く、口コミはゆっくりです。しかし、情報を得る手段には限りがあるので、出現したデマは信ぴょう性が高く、複数存在するよりかはその信ぴょう性が高いデマが一本化するような形であろうと思われます。
確証バイアスが今よりも働きやすい状況になります。
背景としてはオイルショックのトイレットペーパー騒動もありますが、当時の学校などで流行した都市伝説の伝播の仕方にも同じようなものを感じます。
地政学としてはどうか
今は多くが何事もグローバリゼーションのもと、海外とのやりとりなしではなにも成り立ちません。
80年代ももちろんそうですが、当時はまだプラザ合意前の超円安時代です。海外旅行へ行く人はいましたが、それでも今ほどの行き来はありません。
中国は今でこそ世界トップレベルです。しかし当時は大国ではありましたが、超先進国ってわけでもありませんでした。そもそも日本は72年まで中国とは国交すらなかったわけですしね。今ほど中国に日本や世界が依存していたとは考えにくいです。
もしかしたら、各国政府が今よりもスピーディに国境を封鎖し、今のようなハイスピードで世界的に大流行することはなかったかもしれません。緩やかに広がる中で、自然と形を変えてなじんでいったことだってあったかもしれません。
スケールをもう少し大きくすると、80年代初頭というのはソ連ではゴルバチョフ以前の時代です。まだまだ冷戦真っただ中ということもあり、こういった混乱から第二のキューバ危機のようなことも起きたかもしれません。
よからぬことをたくらむ勢力が、金融不安からちょっと戦争でも起こして金儲けをするか、という考えに至る可能性も十分にあり得ます。恐ろしい話です。
すべてはフィクション
まあ、すべてはフィクションです。
というかそもそも論ですけども、1980年代には新型インフルエンザ特措法は存在せず、当然ながら新型コロナウイルスをそこに含ませることはできません。緊急事態宣言の出し方も今と違うわけです。
やり方によってはデモなども起きてしまうかもしれず、不満が募ればのちのち安保闘争のようなことが起きたかもしれません。
よりによって僕らが生きている時代にこんなことが起きてしまって不運なことではありますが、今の時代は昔とは違い、人間の精神は成長し、世界は平和になっています。今ここで、その成長した精神力を発揮するところです。
自粛が終わるまで、お互い頑張りましょう!