これを読んで、ああこういう人たしかにいるなぁと思いました。
スペックにこだわる人
人にはいろいろとスペック、と言われてしまいがちな要素は存在します。
生物的なところだと、人種とか身長とか年齢とか。
心情的なところだと、宗教とか。
社会的なところで、学歴や仕事とか。
その他だと、まぁ生まれであったり、家族のこととか。
まぁ趣味のこととかもあるでしょうし。
そういうので上とか下とかはないんですが、例えば年齢とか学歴とか、あとは収入とか、どうしても上とか下とかでの話になりがちです。
相対的関係と絶対的関係
人間は社会の中で生きていくので、2人以上の人間が存在した場合、そこには常に相対的な関わり方が発生します。
自然と相手と自分を比べるというのはさほど珍しいことではなく、むしろその連続で社会は成り立っているようにも思えます。
先ほど紹介した記事でも、一見するとこの男性はスペックにこだわるやつだな、と見えそうです。
しかし自分は、意外とそうでもないのかなとも思っています。
今回の記事にあるような「学歴」「出身地」は、初対面同士だと一般的には話題の振り方としてはおかしいことではありません。
まぁ卒業校をストレートに聞くのはちょっとアレですけど、まだ若ければ学生時代にやっていたことなどからそういった話になることだってあるでしょう。
相手のことに興味があるのであれば、それは相対的関係ではなく、絶対的関係です。
しかしその後に何かと、もしくは自分と比べるような話をするのであれば、それは相対的関係です。
後者ではたしかに恋愛関係にはなりにくいようにも思えます。
付き合っても、結婚しても、他の家庭や女性と一生比べ続けられそうです。
比べたがるのは怖いから
恋愛に関わらずですが、こういったスペック関係でマウントを取りたいタイプの人って、たしかにいますよね。
自分はこれは一種の自己防衛だと思っています。
人にはいろいろな要素があり、その相対関係の中で社会が成り立っているのは事実です。
しかし自分の中に何か絶対的な芯があるのであれば、そういった相対関係の社会でわざわざ人と比べる必要はありません。
人と比べたくなるのは、人と比べないと自分をこの社会の中で保てないから、強いては怖いからこその自己防衛ということです。
昭和、平成前期はこういったところが学歴(偏差値)、収入あたりが分かりやすい指標でした。
現在はSNS時代なので、フォロワー数とかそういうのも合わせてわかりやすい指標になっているかもしれませんね。
学歴マウントを取りたがる人も、自分より学歴が高い人が同じ場にいたらその話しなくなりますよね。
結局は怖いから比べ、怖いから比べられたくないわけです。
とはいえ、こういった比べることを必要以上にダメというのは違うかなとも思っていて。
やはり社会は相対関係で成り立っているもので、ある意味これが正解だと思っています。
だからこそ、この記事での女性は恋愛ではそういったところを越え、絶対的な関係でいられる相手が見つかるといいですね。