AI技術を活用した社会が進む中、エンタメでも仕事を奪われるのではないかという話がたくさんあります。
こちらはアメリカでストライキという話。
収入がAIに減らされる ハリウッドで悲鳴(アスキー) – Yahoo!ニュース
争点になっているのは、脚本とエキストラのようです。
映像作品でのAI利用
活用できるところはたくさんありそうですが、ここでは脚本とエキストラが話題になっています。
脚本もAIを活用し書き上げることができるわけですが、AIに作られてしまったら脚本家の仕事がなくなってしまいますね。
しかし脚本家がAIを活用しより便利にいいものを作ることはできるかなとも思います。
自分は後者の方向で実際に取り組みをしていますが、社会全体としての問題意識という意味では前者が重要かもしれません。
エキストラに関しては、実際に人を集め、人をスキャンしAI化させ、エキストラをコピペで大量生産することができてしまうではないか、ということです。
人のデータを勝手に使いまわしされるのはどうなのか、というのはたしかにそうですね。
しかし、もうすぐにでもエキストラそのものはすべてAIになってしまうのではないかなと思います。
というか、例えば中世の戦いのシーンで何万人の人が一気に戦うシーンとか、もうすでにCGなど取り入れていますよね。
一人ひとりが小さく映り数で勝負したいタイプの映像の場合は、本物の人間を使うよりAIを使うほうがよさそう。
AIのほうがいいこともあれば、人間のほうがいいこともある
ゲームなんかがわかりやすいところですが、ドラクエなどをイメージしてください。
町の人、基本的にみんな同じ素体を使いまわします。
しかし実際の世界では、同じ服装、同じ顔の人はそうそういません。
こういったところはAIを使うとよくて、人物や服装が異なるその他大勢を大量生産するのには向いています。
同様に、雲とか木とかもそうなんですよね。厳密にいうと同じ形のものはないわけですからね。
ただ、全部AIに任せてしまうと物理法則を無視したものができてしまうこともあります。
そういう意味ではやはり人間のディレクション機能は現段階では欠かせないかなというところで、うまくすみわけしながら取り入れるしかないのかなとも。
しかしこれを映画などの世界に置き換えるのであれば、やはり数で勝負する系の映像はどんどんAIに置き換えられていくだろうなとも思います。
勝手にモデルなどを使われるのはもちろん規制すべきですが、今後は誰でも自由に使えるAIモデルなんかも増えると思いますし、むしろ望んで自分をモデル化していくケースが増えていくと思っています。
技術は不可逆なので、考え方も含めていろいろ変わっていくんだろうなと思います。