高市総理は大相撲の土俵に上がるのか問題を考える


これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです

いつもは「音楽とテクノロジー」なんてテーマで話してますが、今日はちょっと違う話を。最近、僕が個人的にものすごく関心を持っていることについて、少し語らせてください。

高市総理は土俵に上がる?「神事」と「社会参加」のあいだで思うこと

ご存知の通り、日本で初の女性総理、高市さんが誕生しましたよね。僕は結構前から、それこそ5年くらい前から「高市さんが総理大臣になったらいいのにな」って思ってたんで、個人的にはすごく嬉しいです。

その前提で話したいのが、大相撲の土俵の話。
大相撲の土俵って「女人禁制」で、女性は上がれないルールがあるじゃないですか。こういう性別で立ち入りが制限される場所って、実は世の中にいくつかあって、その多くが宗教的な理由、つまり「神事」に関わるものなんですよね。

相撲の場合、女性の生理が「穢れ」と見なされる、という考え方が背景にあります。これを聞いて「女性が穢れてるってどういうこと!?」って思う人もいるかもしれないけど、これは「汚い」っていう意味の「汚れ」じゃなくて、神道の世界で使われる「穢れ」という漢字の方。あくまで宗教的な価値観の話なんです。

で、ここからが本題。総理大臣は、優勝した力士に土俵の上で内閣総理大臣杯を渡すことがあります。昔、小泉さんが「痛みに耐えてよく頑張った!」って言ってた、アレです。
じゃあ、女性である高市総理は土俵に上がるのか、上がらないのか?これが僕の最大の関心事なんです。

僕は、相撲って「6割がスポーツで、4割が神事」だと思ってて。女性の社会参加はもちろんどんどん進めるべきだと思う一方で、神事に関してはまた別の話かな、とも考えています。例えば天皇制。あれは完全に神事だと思っているので、僕は男系を維持すべきだと考えてるタイプ。天皇の最も大事な仕事は国民のために「祈ること」だから、そこは宗教的な儀式として守るべき部分があるんじゃないかな、と。

どっちを選んでも批判は必至。だからこそ「どうあるべきか」を考えたい

この問題、高市さんにとっては本当に難しい判断だと思います。土俵に上がっても、上がらなくても、おそらくどちらを選んでも批判は避けられないでしょう。

海外から見れば、「日本はまだそんな男女差別的なことをやっているのか」って言われるに決まってます。特に海外の人は、相撲が神事だなんて知らないでしょうからね。多くの日本人も知らないくらいだし。これは、イスラム教徒の人に「栄養があるから豚肉を食べなよ」って言ってるようなもので、文化や宗教への理解がないと、ただの差別に見えちゃうわけです。

だからこそ、高市さんの説明能力が問われるところ。僕は高市さんを支持しているからこそ、彼女ならこの難しい問題をうまく説明してくれると期待しています。そして、彼女が説明した上で下した決断なら、僕は土俵に上がるにせよ、上がらないにせよ、その決断を支持したい。

時代の転換点として、「現代の相撲はスポーツとしての側面が強いから」という理由で土俵に上がるのも、一つの答えだと思う。それもアリ。でも、「やはり神事としての側面を重んじる」という理由で上がらないのも、また一つの正解だと思うんです。

大事なのは、これを単に「伝統」という言葉で片付けないこと。海外に合わせるのが正解でもないし、今のままがいいわけでもない。宗教的な儀式という側面を理解した上で、これからの社会として「どうあるべきか」を、僕たち一人ひとりが考えていく必要があるんじゃないかな。

高市総理がどんな決断をするのか、興味深く見守っていきたいと思っています。