彩雨さんが函館市北方民族資料館へ行って、北海道とアイヌについて考えた話


全国ツアーの行程で、函館でオフがありました。

そこで今回行ってきたのが、北方民族資料館です。

日本人とはなにか

アイヌのことについては人並みには勉強していますが、まだまだ無知なレベルです。

デリケートな部分もあるので、これからもちゃんと勉強していきたいと思っています。

自分はけっこう日本人はどこから来たのかとか、そもそも日本人とはなんなのかとか、そういうの考えるのが好きなタイプです。

日本人は単一民族だと考える人達も一部にはいるようですが、そうではありません。自分の知る限り、いわゆる大和民族、アイヌ民族、琉球民族が存在します。

実は昔からある程度の知見はありましたが、それはしょせん、表面上のものです。以前沖縄に遊びに行ったとき現地の展示で琉球民族について知ったことが自分の知っていた知識、考えと僅かながらの認識の差異があり、それ以降アイヌについてもチャンスがあれば現地の展示で見て考えたいという願望がありました。

昔は今のように国境というのもちゃんと区切られたわけではなく、それこそ神話の話まで遡れば、何を持って日本人かなんて非常に曖昧な話であります。当たり前のように日本人だと思っている自分たちですら、どこかからきた征服者の子孫であるかもしれません。

この2019年現在、当たり前ですが北海道は日本です。

ですが、ちゃんとその成り立ちを含め、歴史的なことをきちんと知らなければなりません。それをきちんと理解し、初めて本当の意味で日本人とはなんなのかを理解できると思います。

先にいいますが、自分はまだまだ理解が足りていませんので、これからも勉強を続けていきたいと思います。

日本人とは、大多数は大和民族ですが、決して単一民族ではありません。そもそも大和民族という言い方自体も自分的にはちょっとひっかかることがあるのですが、他に言葉がないのでこの記事では大和民族といいます。

北海道の歴史

日本では、という言い方も正しいのかどうかよくわからないのですが、なんと表現したらいいのかわからないのでそういいます。日本では蝦夷という言い方で、1300年代にはすでに北海道以北を認知していました。厳密に言えば昔は関東より北はすべて蝦夷という表現をしていたので、まぁこのあたりも曖昧です。ですが、奈良時代や鎌倉時代にはすでに大和民族とアイヌ民族の交流や対立が見られたという記述もあります。

日本は江戸時代より北海道ヘ向けての調査を積極的に進めています。

あの日本地図で有名な伊能忠敬も北海道へ足を踏み入れていますし、国内外を始め、多くの調査が北海道で行われています。

いつをもって北海道は日本となったのでしょう。この議論は難しいところ、デリケートな問題です。

明治維新後は北海道の開拓が行われ、多くの日本人が北海道へ移り住むことになります。以降、幾度かの諸外国との戦争がありながら、北方領土の問題も残しつつ、現在の日本地図の国境となります。

北方民族

今回、北方民俗資料館に展示されているものを見て、アイヌがどうこうというより、そもそも北方民族というもと大きなカテゴリーとしての文化を感じました。この感覚は実際に展示物を見て初めて思ったことでした。

北海道だけではなく、いわゆる北方領土やロシア、アラスカなどを含めた大きなカテゴリーです。

こうして地図を見ると、北海道が一番南のちょっとした島の、多くな文化圏になっていますよね。見慣れない地図だと思います。

結局のところ、そもそも地図というものも自分たちの都合のいいように国境があるものです。国境が明記されている地図も、それも見過ぎはよくないといいますか、変な先入観がでるものです。

こういった問題はセンシティブな内容で、もちろん北方領土の問題にも関わってきます。まぁぶっちゃけいえばロシアでも日本でもないんじゃないか、って感じでもあるんですが、立場上そこまで言うわけにはいきませんね。

ですが、少なくともいわゆる”北海道”という言葉では表現できない世界がそこにはあったように感じます。

もっとも、北海道に住んでいる方にとってはちょっと違和感といいますか、不快に感じる部分もあるかもしれません。

アイヌ民族の現状

アイヌは明治以降、いわゆる大和民族のルールに従わされたといいますか、同化したといいますか、なんとも表現し難いところもありますが、生粋のアイヌ民族は減少しています。

一時期は数万人いたアイヌ民族も、その昔、日本を含む諸外国との交流によってもたらした病気(天然痘や梅毒など)によって江戸時代以降後期以降はかなり減ったといわれています。

20世紀終盤から原住民族の復権が世界的なテーマとなっており、アメリカではインディアン、オーストラリアではアボリジニなど、原住民族について考える機会が増えています。日本でも同様にアイヌ民族についてちゃんと考える機運が高まっています。

現在も生粋のアイヌ民族の方はいらっしゃいますが、アイヌ語に関してはユネスコによる消滅危機言語の一つとされるなど、危機に瀕する言語とされています。

当時の日本人が、アメリカ人にとってのインディアンと同じようなことをして北へ北へと向かっていったかというと、決してそういうわけでもないようですが、このあたりの流れについては詳しいことは自分にはまだわかりません。

函館市北方民族資料館

今回訪れた函館市北方民族資料館は、児玉・馬場コレクションと呼ばれるアイヌ民族を中心とする北方民族の暮らしに関わる、例えば衣服や装飾品などの展示が多くありました。

明治維新後、急激に失われるアイヌ文化を残すために、私財を投資しアイヌ民族の品物を買い取り、保管しました。当時はそういったものを集めるのもどこか趣味のような扱いをされ、学術的にはそれが一つの学問として認められていないような時代でした。

展示の中にあった馬場氏のコメントには「滅びゆくアイヌの土俗品を、今にして集めておかねば、悔いを千載に残すことに気がついて」とあります。当時はそういったものが国内外あちこちに流出していたようで、こうしてきちんと物品を未来へ残すことによって文化について後世の人が知ることができる側面もあります。

「私共の集めた物には、いいあらわし難い彼らの哀愁がこもっているのである。」という言葉にすべてが集約されているようです。

展示されていたものは、木綿で作られた衣服ではなく、獣や魚の革を使って作られた衣類などもあります。寒い地域ですからね。

コレクションの中にはその昔、大和民族との交流の中で購入した衣類などもあるようで、そういったところにもなにかリアルさも感じました。

当時の子供たちの遊び(図解)や、楽器なども展示されていました。口琴というモンゴルなどでも使われる楽器もあり、より広い範囲で文化の交流がなされていたことをうかがい知ることができます。

スキーやソリなど雪国らしいものもありますし、カヌーといった海洋民族らしい展示もありました。かなり広いエリアで北方民族が存在していたことを印象づけます。

当時の測量による日本地図も印象的で、東西南北が今のものと違ったり、中心地が違うだけでまったく別の印象がありました。

こちらの地図は、右が青森で北海道を描いた地図です。カタカナで、今でも地名として残っている北海道の町の名前が記されています。

海外からも多くの調査が行われており、外国人が描いた当時の北方民族もまた、なにか考えさせられる部分がありました。

もっと知らなければならない

一般的な知識はネットで検索すれば多くの情報がでてきます。

しかし本当に大事なことは、実際にそういったものを見て、なにを感じるかということです。

今は当たり前のように北海道へ来て、当たり前のようにライブをしている生活をおかげさまでしています。

ですが、それは実は本当は当たり前のことではなかったのかもしれません。どうしてそれが当たり前になったのか。それをもっと知らなければならないと強く思いました。

まだまだ知らないことばかりですし、自分の知識もまだまだ偏ったものです。いろいろ勉強して、またなにか知ることがあればこのブログでも書いていきたいと思います。