『Go!天正遣欧少年使節』400年以上前のヨーロッパ旅行に思いを馳せる。


ここのところ、戦国鍋TVに今更はまっていまして、DVDをゆっくり見ながら過ごすのがとても楽しいです。

まだまだ序盤です。

放送されていたころはちょっと見たことはありましたが、そこまでちゃんと見てなかったもので、ハマりませんでした。

ちょうど僕らがキングレコードにお世話になりはじめた頃に制作されていて、キングレコードの番組ですので、スタジオでも名前をお見かけすることもありましたね。

400年前のヨーロッパ旅行

その中に天正遣欧少年使節が登場する話があるのですが、調べてみるとなかなか興味深いものです。

キリスト教布教のため、日本の少年たちがヨーロッパへ派遣されたのは、なんと1582年のこと。今から400年以上前の話です。

もちろん飛行機もなく、船旅です。

目的地はポルトガルのリスボンです。直線距離では行くことができないので、マカオ、インドを経由し、アフリカをグルっと回ってポルトガルへ向かいます。

なんと到着したのは2年半後のこと。

リスボンに到着し、その後イタリアへ向かいます。

ローマだけではなく、フィレンツェやミラノなど、大都市をいくつも回ります。

一般人でもなかなか会えないメディチ家の人や、当時のローマ教皇にも会ってるわけで、400年前の日本人にとっては信じられないできごとがたくさんです。

彼らはその後、再び長時間をかけて日本へ帰国します。

その際に、当時のヨーロッパの最新技術であった活版印刷や、楽器などを持ち帰ったそうです。

帰国後の数奇な運命

そんな普通の人ではできないような体験をしたわけで、帰国後はさぞ珍しがられたであろうという感じです。今だったら講演会や芸能活動だけで生活ができそうですね。

ですが、当時は激動の戦国時代です。

キリスト教は禁止となります。それは彼らに対してもあたりは強くなることを意味しています。

リーダーであった伊東マンショは、長崎で静かに暮らし、江戸時代初期に命を落とします。中浦ジュリアンは積極的にキリスト教の布教活動をしていたことから、その後捉えられ、処刑されます。原マルティノはマカオへ追放され、そこで晩年を迎え、亡くなります。

最後の一人、千々石ミゲルについては、キリスト教を棄教しています。

彼はヨーロッパで奴隷が一般的だったことに対してキリスト教に対して疑念を持ったとされ、その後は武士として暮らしました。

400年前のヨーロッパ旅行という、非常に珍しい経験をした4人の少年たちは、それぞれが別々に、戦国時代終期の動乱の中で歴史から姿を消すことになりました。

信長は彼らが出立した数カ月後に本能寺の変で命を落とします。

もし彼らが帰国したときに信長が天下をとっていたら、彼らの運命もまた別のものになっていたかもしれませんね。