QUESTIONより:残酷な真実を告げるのと優しい嘘をつくの、どちらが正義か


QUESTIONより

残酷な真実を告げるのと優しい嘘をつくの…どちらが正義だと思いますか?


やさしい嘘なら…いらーないーってのがパッと思いつきました。世代がばれますね。

嘘もあってしかるべき

嘘をつくべきではないというのは一般論としても、それでも嘘は山ほどあるでしょう。「ごめん、待った?」「いや、今きたばっかり」なんて典型的な優しい嘘じゃないですか。

なんでもかんでも馬鹿正直になることだけでは、世の中うまく回らないと思うんですよね。

嘘は墓まで

ただ、やるなら徹底的にやらないといけません。

「ごめん、待った?」「いや、今きたばっかり」

と言っておきながら、一か月後に喧嘩したときに「実はあの時は何分も待ったんだ!」みたいなこというやつは最悪ですよね。嘘をつくなら、どんな状況でもそれは死んでもつき通せ、ということです。

残酷な真実

残酷な真実との二択となるとまた話は難しくなりますが、例えば余命半年だと診断されたとき、それを告げるかどうかということとかがそういうのにあたりそうです。

余命宣告というのはなかなかセンシティブな問題ではありますが、これについてはするべきかと思います。

クオリティオブライフということで、長く生きれば幸せと必ずしもいえるわけでもありません。余命半年なら、余命半年なりの生き方を模索する方法を一緒に考える方がいいのかなと思います。

あとは最近多いのは、子供のDNA検査したら父親が別人だったとか、そういうやつですよね。実はこれ、最近増えているといわれています。昔はまさか科学的な検査で将来的にバレると思わなかったからでしょうか。今はだれでも簡単に調べることできます。

お父さんにとってはまさに残酷な真実です。

これを理由にバラバラになる家庭もあるでしょうが、その真実を自分の中だけにそっと受け止め、子供と家庭を愛し続ける人も一方で多いといわれています。それもまた優しい嘘なのかなと思います。

なにが正義か、正義というのは自分の心の中にあるものです。言うべきだと思えばそれに従い言えばよく、言うべきではないと思えば、嘘をつけばいい、ということです。

嘘もつきとおせば真実になります。真実はいつも一つではありません。