婚姻届くらいハンコを押したっていいのでは…それでも婚姻届の脱ハンコを進めるべき理由


先日、婚姻届がオンライン対応へ、ハンコもいらなくなるというニュースが大きな話題になりました。

現在、日本政府はかなり力を入れて脱ハンコを進めています。菅総理はデジタル化、IT化に力を入れているので、その流れでどうしても脱ハンコは避けられない流れです。

自分自身も古き良き慣習を残すことはとても大事だとは思っていますが、それでもきっとこれはなくなるだろうと思っているいくつかのもののうちの一つがこのハンコ文化です。

婚姻届はハンコを残すべき、という意見

この婚姻届に関しては、やはり大きなインパクトがありました。

その中でもよくあった意見として、一生に何度もない結婚なんだから、それくらいハンコを押したっていいじゃないか、というものです。儀式としてきちんとやって、役所に届けをするべきではないか、というものです。

気持ちはよくわかります。

しかし、自分はやはり婚姻届もハンコは残すべきではないと考えています。

日常生活でのハンコがなくなる未来

おそらく、自分の苗字のハンコを持ってない人はいないと思います。押す頻度はそれぞれでも、さすがにない人はかなりの少数派でしょう。

婚姻届はハンコを残すべきじゃないか、と言う人の気持ちはわからないでもないですが、そもそもの大前提として、ハンコを持っているということがあります。

ですが、将来的にはハンコを必ずしも持っている必要がない状態になります。多くの手続きがハンコなしに行えるようになるからです。行政のシステムとして脱ハンコがなされれば、民間のシステムでも脱ハンコは進みます。契約などでもハンコが不要になるかもしれません。

そうなってくると、そもそも現在のように自分の苗字のハンコを当たり前のように持っている、という状態ではなくなります。

そうなったとき、結婚するときにわざわざハンコを買って婚姻届にハンコを押すの?ということです。ここめっちゃ重要です。結婚式の費用、引っ越しの費用、いろいろお金がかかるこのタイミングで、ハンコまで買わなきゃいけないの?日常生活からハンコがなくなる未来がどういうものなのか、想像しなくてはなりません。

脱ハンコをするのであれば、やはりもうすべての行政システムからハンコをなくしていくしかないのです。婚姻届でちゃんとハンコを押したい人は、今すぐ結婚しましょう。

それでもハンコはなくならない?

現在進めているのはハンコをなくすのではなく、不要な押印をなくすことだ、という論調も政府内からでています。ハンコ自体を敵視するような風潮へ釘をさしたような形でしょう。

でも不要な押印がなくなるということは、じゃあ必要な押印ってなんだろうという話。

それが印鑑登録した実印であったり、銀行印だったりするのでしょう。まぁたしかにそれらは今後も残るかもしれません。しかし、実生活からハンコがなくなったら、このあたりもどうなることでしょう。

まぁでも手続きや契約などでのハンコはなくなったとしても、なにかのチェックとしてサイン代わりにハンコを押すとか、そういった業務的な使い方は残るところは残るでしょうし、この世の中からハンコがゼロになるわけでもないのかなとも思いますけどね。

個人的にはナンセンスの極みでもあるデジタル押印文化だけは定着しないことを祈りたいものです。