印刷は終わった!「モノの再定義」でCD文化は逆転可能


印刷は終わった…。

まぁ自分も、新聞や本を手にすることは少なく、基本的には電子化の波にしっかり乗っているタイプです。

それでも印刷業界は同人誌文化のバックアップもありここのところ踏みとどまっていますが、即売会が思うように開けないコロナの昨今、老舗の印刷所も閉めてしまうなど、影響が出ています。

年賀状についても今年は鬼滅の刃で盛り上げていましたが、今後ゆっくりと減っていくことは明らかです。

印刷は終わった

印刷所が作ったスクラッチ年賀状というのが話題になっています。

印刷は終わった……削ると内容が一変 「スクラッチ年賀状」作った印刷屋の心意気「紙の価値を考えたい」(withnews) – Yahoo!ニュース

なるほど、これはなかなか面白い発想ですね。

スクラッチで削ると隠れた文章が見え、別の意味になるというものです。

発想が電通っぽい!(笑)

ネット上でもスクラッチを模したものもありますが、あれってあんまりおもしろくないですよね。

スクラッチとかおみくじとか、ネットでやるとありがたみがなくなります。どうせ最初からそうプログラムされてんだろ、となってしまうのかもしれません。

こういう発想、大事にしたいものです。

キーワードはやはり体験

情報を伝えるというメディア性だけで考えると、紙はデータよりも不利です。

印刷コストや輸送コストもかかりますしね。時間もかかります。

だからやはり速報性のあるものは紙よりもデータになっていきます。

これは音楽でもそうで、音楽データを届けるだけならば、CDよりもデータを直接送るほうがいいわけです。

CDはデータじゃない!とか怒られそうですが、残念ながらCDの中身はデータです。

しかしモノにはメディア性以外の性質もあるということで、こういったスクラッチ年賀状とか、まさにそうです。ユーザーに削るという体験をさせることで、情報を恣意的に変化させることができます。

CDもきっと同じようなことができるんだろうなと思います。コロナのこともありビジネスモデルを変化させていかなければならない中、CDも面白いギミックがあれば、データ販売ではできない体験をユーザーに提供することが可能なはずです。そういうところに気付ければ、まだまだCDにも、そして音楽の新しい在り方にもつながるかもしれません。

記事内には仕事の価値を再定義とありました。なるほど、そうですね。

自分はモノとデータという二元論でよくいろいろなことを考えるのですが、「モノの再定義」ということなのかなと思います。

こういう視点での発想、常に意識しておきたいものですね。