これはニュース読み配信の文字起こしをブログ化したものです
「練習中に水を飲むな」「失敗したら連帯責任でグラウンド10周」…昭和・平成を過ごした世代にとって、部活動にまつわる理不尽な「謎ルール」は、どこか懐かしい思い出の一つかもしれません。しかし、今の時代の価値観で見れば、その多くは「完全アウト」なものばかり。なぜあのような文化がまかり通っていたのでしょうか。
「根性論」の正体は、軍隊式訓練の名残だった
記事によると、部活中の「水飲み禁止」は、戦時中の軍隊式訓練にそのルーツがあるそうです。「キリスト根性論」をベースにした訓練では、水を飲むことは許されなかった。その世代が教師になり、部活動の指導現場にその価値観が持ち込まれた、というのです。なるほど、「水を飲むとバテる」という、今では科学的根拠のない俗説も、そうした背景から生まれたのかもしれません。
僕自身、中学時代に陸上部でしたが、水飲みが禁止されていたか、記憶は少し曖昧です。ただ、麦茶を作る係がいたことを考えると、少なくとも僕の部では飲めていたのでしょう。しかし、野球部だった友人が「練習中に水を飲むのはご法度だった」と話していたのを思い出します。
体罰も当たり前の時代でした。「動きが遅い」と木刀で打たれた、ラケットで頭を叩かれた、といった話は枚挙にいとまがありません。80年代の校内暴力が社会問題化し、学校側が体罰や厳しい校則で生徒を抑え込もうとした時代背景も、こうした指導をエスカレートさせた一因でしょう。『スクール☆ウォーズ』や『3年B組金八先生』といったドラマが描いた、荒れた学校を熱血教師が立て直すという物語は、まさに当時の現実を反映していたのだと思います。
体育会系だけじゃない?文系サークルにもあった軍隊文化
こうした軍隊的な文化は、体育会系に限った話ではなかったようです。記事にあった広告研究会の話は非常に興味深いものでした。「代々受け継がれてきた旗は、次期部長と現部長しか触ってはいけない」「校歌を間違えれば、先輩に缶詰にされてやり直し」。まるでブラック企業のような話ですが、こういう独特の儀式めいたルールが、サークルへの帰属意識を高めていた側面もあったのかもしれません。
また、体育会系特有の文化として「早口言葉での返事」も挙げられていました。「すみません」ではなく「サーセン!」と、何を言っているか分からないほどの早口で言わなければならない、という謎の慣習。これもまた、軍隊式の規律の名残なのでしょうか。ゆっくり喋っても伝わるのに、なぜあえて早口にするのか、今となっては不思議でなりません。
時代は変わり、部活動そのものが岐路に立たされている
しかし、2010年代に入り、部活動のあり方は大きな転換点を迎えます。顧問からの暴行や叱責を苦に生徒が自ら命を絶つという痛ましい事件が、社会に大きな衝撃を与えました。連帯責任や理不尽な体罰は、指導ではなく人権侵害であるという認識が広まり、かつての「当たり前」は急速に過去のものとなっていきました。
そして今、部活動はさらなる変化の波に直面しています。教師の長時間労働が問題視される中、ボランティア同然で担ってきた部活動の顧問制度は限界を迎えつつあります。一部の地域では、学校での部活動を廃止し、地域のスポーツクラブに活動を委ねるという動きも始まっています。
学校運営の立場から見れば、体罰や事故のリスク、そして何より教師の負担を考えると、この流れは必然なのかもしれません。寂しい話ではありますが、時代の変化を考えれば、理解できる判断です。
高校野球やサッカーなど、学校単位のスポーツに熱狂してきた者としては、そうした文化が失われてしまうのは寂しい限りです。しかし、教師のなり手が激減しているという現実を前に、労働環境の改善は待ったなしの課題。おそらく、10年後、15年後には、僕たちが知っている「部活動」の姿は、大きく様変わりしていることでしょう。かつての謎ルールを懐かしむことさえ、できなくなっているかもしれません。