ミスコン廃止とルッキズム、多様性の難しさ


少し昔までは、非常に大きな盛り上がりを見せていた大学のイベントとして、ミスコンがありました。

自分の通っていた大学は国内の中でも屈指のミスコンでしたので、それに選ばれるというのは、ちょっとそのあたりのかわいい女の子に選ばれました的なことではなく、それこそ人生が変わるレベルでの大きな出来事にもなりかねないほどのものでした。

ミスコン廃止の流れ

現在、ミスコンを廃止しようという流れが起きています。

世界的に外見重視の考え方を改めようとする動きもありますし、女はこうでなければならない、といった固定観念も見直そうという動きもあります。

そういった流れとミスコンはそぐわず、世界の流れに沿う形でミスコンがなくなっていく、というのが一つ。

ミスコン絡みで不祥事も多く、そういったところも問題になってしまったのも一つ。

あとはまぁ、規模があまりにも大きくなりすぎて、企業なんかもガンガン入るようになり、ちょっとキャンパス内のかわいい女の子を選ぼうじゃないか、というレベルの話からかけ離れ過ぎてしまったのもあるかなぁとも。これは今に始まったことではないんですが、昔から異様だったんでしょう。

ルッキズムと多様性

ルッキズムは、外見に伴う差別が問題扱いするというものです。

容姿が優れていない人を差別的に扱うのはよくないよね、ということです。

ミスコンは容姿が優れている人を選ぶイベントで、容姿が優れていない人をけなすイベントではありません。

そういったところから、ミスコン中止はやりすぎではないか、という声もあります。

直接的にはたしかにそうかもしれませんが、間接的にはこういったイベントが外見志向主義につながる、ということもあるかなというところで、まぁ大学のイベントとしてはやりにくいところもあるのかなという感じです。

個人的に思うのは、大学がこれを通じ学生に、社会にどういった議論を促すことができるかも大事だと思うんですけどもね。

そういったところで、多様性という言葉がよく引き合いに出されます。

いろんな人がいるのだから、容姿がいい人だっているはずだろ、ということです。

足が速い人を競うイベントもありますし、歌がうまい人で競うイベントもあるのだから、容姿で競うものがあってもいいじゃないか、ということです。

今は何かと多様性という言葉が先行で広がっているわけですが、もしかしたら本当の意味での多様性という言葉の本質を、自分を含め世の中全員がまだまだ理解できていないような気さえします。

このルッキズムの問題についても、最近自分が興味を持っている分野の一つです。ゆっくりといろいろ考えていきたいなと思います。