これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです
共同通信が配信した、屋久島のタヌキによる食害に関する記事。その中で使用されたタヌキの写真が、実はAIによって加工されたものだったとして、配信が取り消されるという出来事がありました。
「分かりやすさ」と「事実」の境界線
公開された元画像とAI加工後の画像を比べると、確かにAIで加工された写真の方が、タヌキがこちらを向いており、口に加えているものも分かりやすく、写真としての「見栄え」は良くなっています。
記事を作成した側も、決して読者を騙そうとしたわけではないでしょう。Photoshopで写真の明るさを調整したり、人物の肌を綺麗にしたりするのと同じ感覚で、より分かりやすい写真にするために、AIによる加工を施したのかもしれません。
しかし、報道写真において、それは許される行為なのでしょうか。
スマホのズーム機能も、実は「AI加工」?
この問題は、私たちが思っている以上に、身近なところに潜んでいます。
例えば、スマートフォンのカメラに搭載されている「ズーム機能」。遠くのものを拡大すると、画像はどうしても粗くなります。その粗くなった部分を、AIが補正し、綺麗に見せている。そんな技術が、すでに私たちのスマホに搭載されている、あるいは、これから搭載されようとしています。
では、そうして撮影された写真は、果たして「本物の写真」なのでしょうか。それとも、「AIが生成した画像」なのでしょうか。
ユーザーにとっては、ただ綺麗にズームができた、という結果しかありません。しかし、その裏ではAIによる高度な加工が行われている。この「事実」と「加工」の境界線は、今後ますます曖昧になっていくでしょう。
AIが1ミリでも介在したら「事実」ではないのか?
今回の共同通信の件は、「さすがにやりすぎだ」と感じる人が多いかもしれません。顔の向きまで変えてしまうのは、もはや「加工」の域を超えている、と。
では、顔の向きは変えずに、画像の鮮明度を上げるだけなら許されるのでしょうか。 AIが1ミリでも介在した写真は、すべて「事実ではない」と見なすべきなのでしょうか。
この線引きは、非常に難しい問題です。
今はまだ、こうした事例が一つひとつニュースになり、議論を呼んでいます。しかし、10年後の2035年には、AIによる画像加工はもっと当たり前になり、この記事を「あの頃は、そんなことで騒いでいたんだね」と、懐かしく振り返る日が来るのかもしれません。
AI技術の進化は、「事実とは何か」という、根源的な問いを、私たちに突きつけています。この新しい現実と、私たちはどう向き合っていくべきなのか。社会全体で考えていく必要がある、非常に興味深いテーマだと、僕は思います。