これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです
11月23日は、日本でWindows95が発売されてからちょうど30周年だそうですね。ニュースでよく見る、秋葉原にすごい行列ができてお祭り騒ぎになっていた、あの日です。本当は96年に出してもおかしくなかったのに、ビル・ゲイツの「絶対に95年に出す!」っていうこだわりで、年末ギリギリの発売になったんだとか。
この記事を読んで「へぇ~」と思ったのが、実は当時のWindows95には、標準でインターネットブラウザが入ってなかったってこと。インターネットに接続するための機能(TCP/IP)はOSに搭載されたんだけど、ブラウザ(Internet Explorer)を使うには、「Microsoft Plus!」っていう追加ソフトを買う必要があったらしいんです。そういえば、当時はNetscape Navigatorとかを別で入れてた記憶がうっすらありますね…。
この記事では、そんなカオスな黎明期の状況が、今の生成AIの産業環境と「そっくりだ」と書かれていて、なるほどなと思いました。
社会を変えたWindows95と、これから世界を変えるAI
僕がいつも授業で力説していることに、「15年ルール」みたいなものがあります。
Windows95が登場した1995年から2010年までの15年間って、その前の15年間(1980年~1995年)とは比べ物にならないくらい、社会が激変したと思うんです。パソコンとインターネットが普及したことで、働き方、コミュニケーション、ありとあらゆることが変わりました。その起爆剤が、間違いなくWindows95でした。
そして今、同じことがAIで起ころうとしています。
生成AIが本格的に登場したのが2022年の終わり頃。ここから15年後、つまり2040年頃には、僕らの社会は今とは全く違う姿になっているはずです。その変化の大きさは、Windows95がもたらしたものに匹敵する、いや、それ以上かもしれない。
そういう意味で、Windows95とAIを取り巻く状況が「似ている」というのは、すごくしっくりくる話なんです。
最も恐ろしい共通点。日本はまた同じ失敗を繰り返すのか?
でも、僕がこの記事を読んで「そっくりで怖い」と感じたのは、もっと別の部分です。それは、30年前の「日本の立ち位置」です。
Windows95が登場した頃、日本はパソコンや半導体を作るハードウェア大国でした。NECのPC-98シリーズは絶大な人気を誇っていたし、ワープロソフトもMicrosoftのWordか、日本のジャストシステムが作る「一太郎」かでシェアを争うくらい、ソフトウェアも強かった。
でも、結果はどうでしたか?
OSというプラットフォームは完全にアメリカに握られ、インターネットの時代になっても、日本からGoogleやAppleのような企業は生まれませんでした。ハードもソフトも作れたのに、なぜプラットフォームの戦いで負けたのか。これは、僕らがちゃんと分析して、本気で反省しなきゃいけないことだと思うんです。
そして今、AIの時代が来て、日本はまた同じ道をたどろうとしています。
政府は「AIやブロックチェーンを頑張る」と言ってはいるものの、僕は正直、かなり厳しいと思っています。30年前と違うのは、日本のライバルがアメリカだけでなく、中国という巨大な存在になっていること。もはや、米中の2大巨頭の争いに、日本が割って入る隙間はほとんどありません。
よく「日本にはアニメやゲームといった強いコンテンツがあるから大丈夫」なんて言う人がいますが、それは大きな間違いです。これからのコンテンツ制作は、絶対にAIの力が必要になります。もし、日本のクリエイターがアメリカや中国のAIを使わないと作品を作れない状況になったら?それはもう、彼らに「首根っこを押さえられている」のと同じこと。「もうお前らの国にはAI使わせないから」と言われたら、終わりじゃないですか。
ミラクルが起きてほしいと心から願っていますが、このままでは、日本はこの30年と同じ道を再び歩むことになるでしょう。そういう意味で、30年前と今の市場環境は、本当に「そっくり」で、少し怖く感じてしまうのです。