みなさんは小学校などであった道徳の授業、覚えていますか?
2018年度から移行措置期間とし、2020年から道徳が教科化されることになっています。教育改革だとプログラミング必修だったり外国語を小学校高学年でやることに注目が集まっていますが、この道徳に関してもさまざまな意見が見られます。
道徳とはなにか
道徳とは中国・春秋戦国時代の老子の『道徳経』からきているといわれています。
辞書によると
社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。
とあります。モラルという言い方もします。倫理にもニュアンスはなんとなく似てそうですけど、倫理のほうがもっと広い範囲で使われるようなニュアンスで、道徳はもっと学校とか家庭とか狭い範囲でも使えそうなニュアンスなのかなと個人的には解釈しています。
モラルというのはとても大事なことなので、道徳はしっかりと子供たちに身に着けるべきことだと思っています。
昨今はモラハラ、パワハラ、セクハラなど、老若男女問わず道徳に欠けた人が多くニュースを賑わせています。もっとも、そういう時代だからこそ道徳を教科化すべき、となったのでしょうか…それはわかりませんが、そもそもこういった道徳で点数をつけるというのもなかなかイメージしにくいものです。最近の学校はどんな道徳の授業をしているのでしょうか。
道徳教育は難しい
NAVERまとめに、道徳教育についての話題がありましたので、紹介します。
ネットを騒がす「道徳教育、古すぎ説」 – NAVER まとめ
こちらに道徳で扱っているふたつの話がありました。
監督の指示は絶対なの?
一つ目が「星野君の二塁打」という話です。ベンチから送りバンドの指令が来てましたが、それを無視して二塁打を打ちます。しかし、後にそれが糾弾されるという内容です。
ここでテーマになるのは「監督の指示は絶対なのか」ということです。ちょうど日大アメフト部の件もあり、”監督の指示に従え”という内容の話を道徳の授業として扱うべきなのか、というのが議論のテーマです。
軍隊とかならわかるんですけどね。命令を無視して、たとえ相手を殲滅できたとしても、その勝手な行動が回りまわって攻め込まれるきっかけになる可能性もありますからね。
実際問題はこれも難しいところで、従うのも大事だし、自分の考えで行動するのも大事なわけです。純粋無垢な子供たちに授業という形でどうそれを伝えるのか、ということですかね。
無償で働くことが美徳なのか
かいつまんでストーリーを紹介すると、隣町で地震があり、ポンタくんたちは進んで仕事を引き受けるわけです。その後、その町長さんにたくさんのご褒美をもらうのですが、そこでポンタくんは「ご褒美をいただかなくても、仕事を続けたい。」と発言します。
隣町が大変なことになっているのだから、ボランティアをしているわけで、とくにこのストーリー自体に違和感があるわけでもないように思えます。
しかし今はサービス残業、過労死、ブラック企業が社会問題になっている時代です。昔の日本はいくらでも残業して、それこそ残業代がちゃんとでなくても企業のために働くことは美徳とされていました。たしかに、ストーリーを切り取って把握すると、時代錯誤感もいなめません。
もちろん、このストーリーのテーマはそこではないはずです。学校には係とか日直とか、いろいろな役目がありますからね。もちろん報酬がもらえるわけでもないですし、それでもやることには意味があるわけで、そういう話をしているのだと思います。
道徳教育はどうあるべきか
考え方は人それぞれ違うわけですし、こうあるべきだ、と教えるというのはとても難しいことです。ましてや相手は子供です。
モラルは大事ですけど、答えのないようなものもあります。純粋な子供に「なぜ?」と聞かれて、それにきちんと説明して答えられる大人がどれくらいいるのか、結局「教育」という名のもとに壮大なハラスメントを通してよくわからないまま大人になっていく未来が見えそう…というのはネガティブ論すぎますね…
答えはこうだ、と押し付けるのではなく、こういったストーリーを通してどう感じるのか、どう思うのか、ということを先生と子供で、子供同士で、親と子供でしっかりと話せるような道徳の授業だといいのかもしれませんね。