あの頃のワクワクはどこへ?年賀状を出さなくなってしまった話


12月15日。郵便局で年賀状の特別扱いが始まる日ですね。駅前には特設の販売コーナーができて、いよいよ年末だなぁ、なんて感じます。

皆さんは、年賀状、出していますか? 僕はというと、実はもう10年、いや、もしかしたら15年以上、年賀状を出していません。

子供の頃は、あんなに楽しかったんですけどね。 11月くらいから「今年はどんなデザインにしようかな」なんてワクワクして。当時はパソコンなんてないから、「プリントゴッコ」っていう、版画みたいにガッチャンガッチャンと一枚ずつ刷る機械で、オリジナルの年賀状を作るのが大好きでした。

今思えば、あの頃から僕の創作魂みたいなものはあったんでしょうね。当時は自分の作品を発表する場なんてないから、年賀状が年に一度の「作品発表の場」だったんです。だから、めちゃくちゃ気合い入れて作ってました。懐かしいなぁ。あの時のワクワク感は、一体どこへ行ってしまったんでしょうか。

テクノロジーだけじゃない。「個人情報」という、もっと大きな壁

年賀状を出さなくなった理由。 もちろん、LINEやメール、SNSが普及して、わざわざハガキでお金(今はいくらなんだろう…?)をかけて挨拶しなくてもよくなった、というのは大きな理由の一つでしょう。

でも、僕が思う一番の理由は、そこじゃないんです。もっと根深い、「個人情報」の問題があると思っています。

ちょっと考えてみてほしいんですが、皆さんは、友人の住所、把握していますか? 僕は、全く把握していません。仕事仲間の住所だって、ほとんど知らない。別に、その人たちとの関係が希薄になったわけじゃないんです。

今の時代、コミュニケーションはLINEやDMで完結してしまう。住所や電話番号、なんならメールアドレスすら知らなくても、親しい関係を築くことはできるわけです。そんな中で、わざわざ「年賀状を送りたいから住所教えて」なんて、聞きづらくなっていませんか?

個人情報保護の観点から、昔ながらの「住所録」自体がなくなってきている。年賀状離れは、単なるIT化の流れだけじゃなく、僕らの個人情報に対する価値観の変化が、大きく影響しているんじゃないかなと思うんです。

「年賀状じまい」という文化と、僕自身の寂しさ

とはいえ、僕は年賀状という文化そのものを否定するつもりは全くありません。送りたい人は、ぜひ送ったらいいと思う。年に一度、そういう形で繋がるのも、素敵なことですよね。

最近では「年賀状じまい」なんて言葉もできました。「今年で年賀状のやり取りは最後にしますね」という、丁寧な挨拶状です。これもまた、時代に合わせた一つのマナーの形なんでしょう。

僕自身は、もう何年も前に、誰に言うでもなく、ひっそりと年賀状じまいをしてしまいました。 子供の頃、あんなに夢中になっていた自分がいたことを思うと、少しだけ寂しい気持ちにもなります。でも、これも時代の流れ。僕らのコミュニケーションの形は、これからもどんどん変わっていくんでしょうね。