これはスタエフの文字起こしをブログ化したものです
「B’zのライブで、隣の人が大声で歌うせいで稲葉さんの声がかき消された」というファンの嘆きが記事になっていました。
「ライブ中に歌わないでくれ」「お前の歌を聴きに来たんじゃない」
この手の話、最近本当によく見かけますよね。
海外と日本の「ノリ」の違い、そして変化
僕らはライブをやる側なので、お客さんに対してどうこう言う立場ではないんですが、この「ライブで歌う」ということについて、すごく考えさせられる出来事がありました。
僕らが海外でライブをやると、お客さんがめちゃくちゃ歌うんですよ。日本語の歌詞をちゃんと覚えて、大合唱してくれる。初めて海外でライブをやった時、その光景にものすごく感動したのを覚えています。「これが海外のノリか!」って。
僕も子供の頃、L’Arc-en-Cielのライブに行っては、周りのことなんて気にせず大声で歌っていました。それが楽しかった。でも、あれはダメなことだったのか…。そう思うと、なんだか少し寂しい気持ちになります。
「境界線」を求める時代。ライブハウスも例外じゃない
この変化って、ライブ会場だけの話じゃないと思うんです。
昔の日本、例えば江戸時代の長屋なんて、壁も薄くてプライベートな空間なんてほとんどなかった。みんなで井戸を使い、助け合って生きていた。「個」と「個」の境界線が、すごく曖昧だったんですよね。
でも今は、「ここから先は私の空間です」という意識がすごく強い。
ノイズキャンセリングイヤホンや防音室が売れるのも、隣の家の生活音に敏感になるのも、この「境界線」をはっきりさせたい、という欲求の表れだと思うんです。
その流れが、ついにライブハウスにまでやってきた。
コロナ禍のソーシャルディスタンスも、その変化を加速させた一因かもしれません。昔は、ライブが終わったらアザだらけ、なんていうのが武勇伝みたいに語られていたのに、今では「体が触れた」というだけで問題になることもある。
楽しみ方の多様性と、ぶつかり合う「正義」
もちろん、この変化を嘆くだけでは、ただの「昔は良かった」という老害になってしまいます。ライブには色々な楽しみ方があっていい。静かに音楽に集中したい、という人の気持ちも、すごくよく分かります。
ただ、問題なのは、「大声で歌って楽しみたい人」と「静かに聴いて楽しみたい人」という、異なる「楽しみ方」が、同じ空間でぶつかってしまうこと。
「この日は歌ってOKな日にしよう!」なんてルールを作ったら、「じゃあ他の日はダメなのか」って話になるし、それはそれで違う。
どうすれば、みんながハッピーになれるのか。
これは本当に難しい問題ですよね。
僕らが「ライブってこういうもんだ」と思っていた常識が、もう通用しなくなってきている。その変化を、僕ら演者側も、しっかりと認識しなきゃいけないんだなと、改めて感じています。
とりとめのない話になってしまいましたが、今日は「ライブで歌う」ということを通して、時代の変化について、少しだけ考えてみました。