QUESTIONより
音楽で変拍子って聞くと難しそうですが、あんたがたどこさは変拍子ですよね?その変拍子感を受け入れる日本人についてどう思われますか?
「あんたがたどこさ」が変拍子ですか?はて、どうでしょう…
あんたがたどこさ(4拍)
ひごさ(2拍)
ひごはどこさ(4拍)
くまもとさ(3拍)
おや…たしかに変拍子なのかも!?
変拍子ってなんだろう
変拍子というのは定義がいろいろありまして、拍子がコロコロ変わるものも変拍子ですし、全部が5拍とか7拍とかの曲もまた変拍子という言い方もします。
そういう意味では、摩天楼オペラの最新作『PANTHEON PART 2-』の中にある「黄金郷を夢見て」も変拍子ですね。
日本文化と変拍子
ちょっと趣旨が違うかもしれないですが、俳句にもリズムがありますよね。
なんとかや◯◯◯
なんとかかんとか
なんとかや◯◯◯
◯の部分は休符です。読むときこの休符を意識します。8音の組み合わせが3つでできてます。音楽的に言えば8部音符が3小節といったところなのでしょうか。しかし、この三小節区切りって音楽的にはちょっと切りが悪いです。あえてちょっと切りが悪くさせる手法もありますけどね。摩天楼オペラ「WARRIOR」は4拍子の6小節区切りでサビが成り立っています。
さて、話を「あんたがたどこさ」に戻します。
この音楽は熊本に伝わる、わらべうたです。「あんたがたどこさ」というタイトルで全国に浸透していますが、正式なタイトルは「肥後手まり歌」となっています。手まりで子供が遊ぶときに歌う音楽です。
こちらの動画のように、手まりをバウンドさせながら歌います。
音楽でいうところの拍子の概念というのは、考え方はとても複雑です。ちなみに摩天楼オペラに「Helios」という曲がありますが、曲中でいろいろ仕掛けがありまして、4/4拍子で3連符が続くのか、6/8拍子で8分音符が続くのか、流れる音、やっていることは同じでも音楽的解釈を曖昧にさせるトリックがあります。ちなみに「黄金郷を夢見て」もこれと同じ手法を使っている箇所があります。
音楽的解釈って難しいところで、正解というのは作者がどう思ってるかに起因してしまうのですが、そういうのもあって、実は真面目な楽曲解説ってちょっと嫌いなんですよね。音楽的解釈を固定させてしまいますからね。こういうのは正解は一つじゃなく、もっと幅があっていいというか、含みを持たせるほうがいいと思うんです。真面目じゃない楽曲解説は大好きなんですけどね。ジールリンクではふざけすぎてごめんなさいね。
では「あんたがたどこさ」の拍子はどうなのだろうかというと、実はこの曲、変拍子ではなく一拍子なのかなともちょっと思ったわけです。何拍子か、という音楽的解釈は、その曲の指揮をするときどのように指揮をするか、ということなのかなと思います。この場合、手まりは基本的に上下運動のみですから、この曲の指揮を振るというのは、要するにこの手まり運動、要するにひたすら上下に指揮を振る動作に近いのかなと思いました。
しかしこの一拍子というのも音楽的に解釈が難しいところでして、音楽に一拍子はないという考え方もあります。
結論:そもそも拍子をとる必要はない(※彩雨の考え)
さて、音楽を聴く側としては分析をしたくなってしまう気持ちもわからないでもないです。インストアイベントでも、拍子について、それだけじゃなく音楽のことを聞かれることもあります。
ただまぁ、みんな無理に拍子を取ろうとしなくていいのかなと思います。拍子というのは、あくまで西洋音楽の発展の中で、わかりやすく音楽を理論立てするためにできた解釈ですので、別にそれに則って音楽をやらなきゃいけないわけでもないし、そうやって拍子を解釈しなくてもいいのかなと思います。
「あんたがたどこさ」もたしかに多様な解釈ができますが、昔から親しまれ、すっと体に馴染む音楽ですよね。現代音楽は99%以上西洋音楽の解釈と理解で成り立ってます。これはゲーム音楽も映画音楽も、全てのヴィジュアル系バンドの音楽も共通してそうなのです。ですが、もしかして西洋音楽の解釈では成り立たない理解もあるのかもしれません。西洋音楽で言えば変拍子とも解釈できる「あんたがたどこさ」が自然に馴染むのは、もしかしたら日本人には西洋音楽の概念を上回る別の概念で音楽をする素質があるのかも、なんてね。
まぁ要するに拍子の解釈に関わらず、音楽は楽しければいい、ってことで良いんじゃないですかね!
すんなり入ってきたモン勝ち、ってことです。音楽、楽しんで聞いてくださいね!