先日は京都情報大学院にて、公開講座ありがとうございました。この夏の公開講座も、もう何年か連続でやらせてもらってますが、今年もたくさんの人が来てくれました。
今回はスマートな音楽、というテーマで音楽業界の未来を考えるのがテーマでした。CDのあり方についても言及しましたが、ちょうどこのタイミングでこのような記事がありました。
情報源: 「CD売るの、辞めました」 アイドルグループ「notall」がCDを無料配布する狙い (ITmedia NEWS) – Yahoo!ニュース
「CDを売らない音楽活動」というのは個人的にもちょっと考えたことがあるのですが、まだ自分の中で枠組みを構築できていません。枠組み、というのは具体的にいうと、それでどうやってお金を稼ぐかということです。この記事によると、それなりのクオリティでプレスしたCDを10万枚配布するとのこと。お金回りについて、これをプロモーション費用と割り切っているのかどうなのか、ちょっと気になるところではありますね。10万枚のプレスというのはそこそこの金額がかかるはずです。
音楽の価値
音楽をやる上でもっとも必要なことは、音楽を聴いてもらうことです。まず聴いてもらわないことにはなにも始まりません。なので無料で音楽を聴いてもらう機会というのはとても大切なことです。今ではYouTubeなどで音楽を視聴できるようにするのは当然のこと、ネットが普及する前の時代でも、無料配布音源というのはありました。テレビの歌番組に出演したり、タイアップをつけたりというのも、無料で音楽を聴いてもらう機会を得るためです。多かれ少なかれ、世界中すべてのアーティストがこの機会を求めているといっても過言ではありません。
先日の講義で、絶対的な音楽の価値と相対的な音楽の価値の話をしました。その理論に基づいて考えると、無料で聴ける音楽があふれているからこそ、人々にとっての相対的音楽価値が下がっているのも事実です。今、多くのアーティストは自分たちの音楽の価値を下げたくはない、でもたくさんの人に聞いてもらいたいという矛盾を抱えながら活動をしているのではないでしょうか。
昨年「PHOENIX RISING」を発売したとき、自分の中で重要なポイントとしていたのが視聴サイトでした。メンバーの脱退があり、多くの人が不安を抱えているからこそ、新しい音楽を聴いてもらわなければならないと強く思い視聴動画や視聴サイトを作りました。別に自分の行為が摩天楼オペラの価値を下げているとは思ってませんが、音楽とネットの関係については毎日のようにどうあるべきなのか考えています。
近年は音楽に関する考え方を確実に時代に問われている感があります。講義では、音楽販売の歴史について振り返りました。そこでも話した通り、書籍は長い時代、ずっと紙媒体で販売されているのに対し、音楽販売の歴史はそもそも人間にとってとても短く、その在り方もテクノロジーの影響を受けて変化が激しいのが特徴です。10年前、20年前当たり前だったことは、音楽販売に関してはいつの時代を見ても当たり前じゃなくなっているのです。
自分の中でこれだ、という新しいスタンダードを世の中に提案できるようなことを見つけたら、ちゃんと動き出してみたいと思っています。
スポーツ界の動きも参考に?
つい先日、このような記事がありました。
18日の巨人戦。ナゴヤドームの空席の目立つスタンドには驚きを隠せなかった。球団発表は1万9953人。この日は、岩瀬仁紀投手(42)が歴代2位の金田正一氏がマークした通算944試合登板に並び、チームも連敗を「5」で止めたが…。営業担当者は「1997年にナゴヤドームが開場して以来、巨人戦で観客数が2万人に届かなかったのは初めて。ショックです」と肩を落とし唾を飲み込んだ。
情報源: 【球界ここだけの話(976)】閑古鳥が鳴くナゴヤドームを満員にする方法は?巨人戦で初の2万人割れ – 野球 – SANSPO.COM(サンスポ)
チームが強ければ客が入るのかというと、まぁそうかもしれません。しかし弱ければ入らないかというと、そういうわけでもありません。Jリーグも、今は観客数は右肩上がりではあるのですが、じゃあ日産スタジアムがいつも満員かというと、そうではなくむしろ空席が目立ちます。どうやったら観客が増えるのでしょうか。神戸のポドルスキ加入のような力押しも、効果はあるかもしれませんね。マリノスもいろいろな催しを行っていますが、なにか面白いアイデアがあればぜひこちらからも提案してみたいものです。
子供たちを無料で招待とか、チケット代を下げるなどのアイデアもあるでしょうが、この辺りは無料で音楽を聴けるようにする、というのとちょっと似ているところがありますね。まずスポーツも来てもらうことが大切なのですが、そこから次につながるようなものでないと意味がありません。難しいですね。
価値のすみ分け
先日の講義の中で、”体験としての音楽再生”という話をしました。「レコードは針を落とすところから」という話を自分なりに解釈したものです。その上で「CDは残る」と言いました。CDの価値はまさに”体験としての音楽再生”としての付加価値にあふれているものだからです。
付加価値というのは、相対的な価値、絶対的な価値を切り分けることで初めて価値になるのです。それはつまり「価値のすみ分け」です。例えば握手券ビジネスは、「〇〇と握手」という事柄について価値が生じて初めて価値になるのです。その価値が生じるかどうかは、人によって違います。これもまた相対的な価値です。先日の講義に来てくれた人はなんとなくわかってくれたかと思いますが、自分はCDの握手券ビジネスは基本的に賛成のスタンスをとっています。ちなみに絶対的な価値は「音楽を聴くこと」と定義しています。講義の中でも話した通り、YouTubeで聴こうがCDで聴こうが、その絶対的な価値は概ね変わらない、という大前提で考えています。
音楽でもスポーツでも、「価値のすみ分け」というのがキーワードなような気がします。目の前の自分の課題としては、CDに対してどのような価値をつけられるのかを考えることです。がむしゃらにCDを買ってくれと、そういうスタンスで音楽活動したくないものです。CD=お布施という考え方も、アーティスト側としてはもちろん大変ありがたいのですが、音楽業界全体を考えるとお布施だけでは成り立ちませんからね。
音楽販売でやっていけないなら、ライブに力を注げばいい、という意見があります。それはごもっとも。ですが、そんな短絡的な話ではありません。プロモーションとしてじゃなく、きちんと作品を残したい。ちゃんとお金をかけてレコーディングしたい。たくさんの人にその音楽を聴いてもらいたい、配信でもいいけど、できれば利益率の高いCDを買ってほしい。バンドマンの本音です。
CDを買ってくれるように、というよりも、CD販売も含めて、どのような音楽ライフをリスナーに対して、ミュージシャン、音楽業界全体が提案できるか、ということのような気もします。
極論はやっぱりこれに落ち着く
先日の講義で、音楽の歴史をぐるっと一周回って「パトロン方式」という話をしました。なんかパトロン方式というと、すぐみんな女に食わせてもらうようなこと想像しますよね。ほら、そこのあなたも。
自分は専業のミュージシャンです。まぁ授業やったりしていますが、それも音楽活動に付随するものであり、別にサラリーマンやってるわけでも、バイトしてるわけでもありません。なので、将来の音楽業界について考えるというのは、それはすなわち自分がどうやって音楽で生計をたてるか、に置き換えることができます。当たり前の話です。しかし、試しにその絶対命題を覆したらどうなるのか。
音楽にお金を払う習慣はなくなるのか? LINEミュージックの評価がヤバい
情報源: 音楽にお金を払う習慣はなくなるのか? LINEミュージックの評価がヤバい – ViRATES [バイレーツ]
昨年、この記事を読んでから頭にずっと引っかかっています。もちろんお金払ってもらわないと、僕らは生きていけません。
ですが、スーパー極論で話をすると、いつの日かどこかの理解のあるスーパー金持ちが世の中の音楽を占有する時代もあり得るのかなと思います。下々のものは音楽を無料、もしくは格安で音楽を楽しめる。僕らアーティストはスーパー金持ちからお金をもらって、リスクなしで好き放題音楽活動ができる。スーパー金持ちは、最高の自己満足を体現できる。おや、まさに一石三鳥?
19世紀以降、世界では民主化と資本主義が進み、かつての身分社会はなくなりつつあります。しかし、一度平らになったかと思われた国際社会は、経済格差という新しい身分社会を生み出しています。
情報源: CNN.co.jp : 上位8人の富豪、下位50%の合計と同等の資産保有 – (1/2)
たった8人の富豪が世界の半分の富を持っているなんて話もありますからね。このスーパー金持ちたち…ヴィジュアル系好きだったりしないかな…。
なんてね。