忘年会スルー、の時代。忘年会をする”意味”はないのかもしれない!


年末ですね。あちこちで忘年会をみなさんもやっておられるのかなと思います。12月と3月はなにかと飲みの機会が多いかもしれませんね。

忘年会スルー

今はなにかと、昔ながらの習慣や風習というのに対し、時代感に合ってないものはしっかりとNOとなる世の中になりつつあります。

自分自身は、昔からの習慣や風習を大事にしたい思いはあります。ですがそれでももうこれはいいんじゃないの、と思うものもあります。この季節だと、お歳暮と年賀状がそれにあたります。ただ、そういうのを出すのを大事にしたい人はやればいいと思っていて、自分はやらない、ということです。押しつけはよくありません。

さて、今はこのターゲットが忘年会に来ています。今年はこの脱忘年会を訴える声が多く上がっています。仲間内というか、会社の忘年会ですね。

自分は会社に属したことがないのですが、仕事仲間での忘年会や新年会というのはけっこう好きなほうです。あまり関りがなく知らない人でも実は仕事でお世話になってる人もいって、そういう人とも話せますしね。

会社などでしたら、別部署の方とか、年の離れた方ともお話できますし、こういうの大事だとは思うんですけど。

とはいえ、それは自分がお酒が好きだから、というのもあるかもしれません。お酒が別に好きでもなければ、忘年会は好きじゃなかったかもしれないですね。

忘年会をする”意味”

忘年会をする意味はあるのか、職場で飲みに行く機会がなくても円滑に回っている会社もあるでしょうし、コミュニケーションを深める場としての飲み会という考え方は時代遅れになっているのかもしれません。

自分自身は、飲みながらパッとでてきたアイデアを大事にしたいタイプなので、仕事関係や友人との飲みはけっこう楽しく参加しています。ではそれが飲みに行った時間に対して何パーセントの割合でそれがなされているのか、という話になると、少ないかもしれません。

今は、なにかと意味を問われる時代です。忘年会をする意味は、と聞かれてしまえば、どれだけ説明しようとも、その効果や結果で考えると薄いのかもしれません。

自分としてはそういう問題ではないと思っていて、行動や理念のすべてに意味や結果を求める生き方はしたくないなと思っています。ただ、時代感としてはその考え方はあってないのかもしれません。

忘年会スルーの社会はそこまできています。少し寂しい気もしますけどね。