QUESTIONより:物を持つという概念がなくなるとき


QUESTIONより

最近はSwitch、PS4の様にゲーム機で遊ぶゲームよりアプリゲームが主流になりました。ここからアニメや舞台へ展開が広がっていく作品が増えています。 スマホで手軽に誰でもplay始められるし、いつでも何処でもスマホさえあれば遊べるし、ゲーム好きとしてはありがたいです。そんな中人気作品(ツキウタ、B-project)が次々アプリのサポート終了を 発表しました。 ゲーム機ならずっと遊べますが、アプリだとデータの為自分がplayしてきたデータが無くなってしまうのかと思うと哀しいし虚しい事です。 アプリデータを移行保管する方法は無いのでしょうか?


サ終、という言葉がトレンド入りしていましたね。

サ終というのは、サービス終了の略です。始まりもあれば必ず終わりもあるということではありますが、スマホ登場から十数年がたち、これからはますますサービス終了するサービスは増えていくでしょう。

クラウド化の宿命

クラウドというと、少し前はドロップボックスのようにデータをアップロードするようなサービスのイメージが強かったですね。今でもGoogle PhotoやiCloudのようなサービスをみなさん無意識で使っているので、こういったクラウドサービスは自然とみなさんも利用しているかと思います。

こういったところに保管されているデータも、クラウドのストレージサービスがサービス終了してしまえば、中のデータはなくなります。

また、音楽や動画、漫画など、デジタルデータで楽しむようなものも増えています。ダウンロードし自分のパソコンにデータとしてあるものでしたら大元のサービスが終了しても見ることはできるかもしれませんが、ストリーミングサービスはそもそも買い取るという概念もありませんので、サービス終了、もしくは配信停止になった時点でもう見ることはできなくなってしまいます。

ゲームに関しても同様で、据え置き機でゲームを買い取るわけではなく、いわゆるスマホゲームのようにネットワークを経由し楽しむようなサービスに関しては、サービス終了とともにこれまで蓄積されたデータも、もう遊べなくなってしまいます。

クラウド化はとても便利な反面、これはもう宿命のようなものです。

所有、という概念の終わり

これからも長くずっと楽しむ、という意味では、物を持つことに勝るものはありません。これは当然です。

もしデータもダウンロードできたとしても、そのデータがなくなってしまえばそこまでです。とはいえ、これも例えば本を買っても火事で焼けてしまえばそこまでで、データならサービスが継続中であれば復元可能という意味では、どっちもどっちではありますけどね。

スマホのゲームがサービス終了する理由は、アクティブユーザーが減っていることに原因があります。昔のファミコンやスーパーファミコンのソフトを今でも楽しんでいる人もいるかもしれませんが、そういうニッチなことについては少なくともクラウド依存のスマホゲームでは通用しなくなってくるわけで、これから数十年後に、今あるスマホゲームが”レトロゲーム”として存在しないことには、たしかにやや寂しさはあります。

ただこういう感覚も、物を所有するという概念があるから生まれるもので、そのうちそういうものに寂しいと思う発想すらなくなるのかもしれません。

少なくとも、スマホの中身については”所有”という概念はなくなりつつあるなと思っています。これから先は身の回りのものの多くが、現在の所有から別の形へ移っていくのかもしれません。