責任感と無責任は紙一重


報道ステーションの富川アナウンサーが新型コロナウイルスに感染したということで、今日から共演陣もまとめて自宅待機ということのようで、こんな大変な時期ではありますが、一新して放送を行うようです。

現場スタッフも一部は濃厚接触の可能性もあるでしょうし、変更を余儀なくされます。これはなかなか大変なことで、他社も含めご苦労されていることかと思います。

替えが効かない仕事

替えがきく仕事、きかない仕事とあるかと思います。

まぁ経論をいってしまえば、どんな仕事でも替えはきくんですけどね。残酷な話ではありますが、この自分でさえ、なにかあれば他のキーボードを入れるとか、シンセは同期で流すとかでバンド活動は続いていくでしょうし、まぁそんなもんです。

トランプ大統領や安倍首相といった国のトップでさえ、さらに言ってしまえば天皇へかでさえも、なにかあれば他の人がその役目に付き、問題なく物事を進められる手配は常にされているわけです。これはこういった非常時に限る話ではなく、いつなにがあるかわからないからちゃんと法的に記されていることなのです。

その一方で、自分に何かがあれば迷惑をかけてしまう、ということでなかなか休めない人もいるでしょう。悪く言えば企業戦士のような言い方になってしまうかもしれませんが、穴を開けないように常日頃の健康管理や、多少辛くても頑張るようなことって誰にでも経験があることかと思います。自分も、めっちゃ具合悪い中、ライブなどしたことありますしね。

穴が開くのを認めるべき社会にしよう

とはいえ、現在はこういったご時世ということで、ちょっとした発熱や咳ですら大丈夫なのかと疑ってしまうし、疑わなくてはならないわけです。

富川アナウンサーのケースは報道によれば発熱後、熱が平熱に下がって業務を続けた上での、再びの体調悪化で感染が発覚したとのこと。病状にもいろいろあるようで、すぐ熱が下がったとはいえ油断できないということを改めて痛感させます。

もっとも、こういった危険性を国民へ知らせる日本でも最大手のニュース番組のキャスターということで、体調不良後も業務を続けていたことや、感染したことそのものへの批判などもちらほらあるようで、こういうのは本当に難しいものです。本人としてはやはり業務を続けたいでしょうし、自分がその立場だったとしても同じだったかもしれません。

しかし同じように少し体調不良を感じながらも、周りに迷惑をかけないようにと業務を続ける人も、正直なところ多いのではないかなと予想しています。

社会全体が寛容になり、今はちょっとした体調不良を言いやすくし、その穴をみんなでカバーできるような環境づくりが求められます。でもこれって、コロナだからとかそういうこと以前に、具合悪かったら休んでみんなでフォローするって、当たり前なんですよね。

コロナ騒動は、こういうところでも現代社会の闇をあぶり出すなと思います。

今回の件に対して、責任感と無責任は紙一重、という論評を目にしました。まぁたしかにそうかもしれません。とはいえ、必要以上の富川アナウンサーへのバッシングはちょっとかわいそうだなと正直思っています。