バランス感、ニッチ、変化…これから求められる能力はここにある


創作でもビジネスでも同じようなことってあると思うんですけど、いわゆる大衆をターゲットにした、マスの視点と、少しマニアックだけどコアファンを得るというニッチな視点があると思います。

マスとニッチのバランス

90年代のようにみんなが同じものを見て、みんなが同じものを共有する時代は話は別ですが、その後ネットが普及してからはいわゆる少しニッチなところへのチャンスは広がったような印象があります。

それからはどちらかというとこのマスとニッチのバランス感が求められる時代でして、ニッチにいながらマスになる、というのが一番理想とする絶妙なバランス感というのは自分自身も感じています。10年代はまさにそういう時代でした。

一億総発信者の時代へ

00年代は多様化、ニッチへの注目があり、10年代はそのバランス感が求められ、時代は20年代となります。

だれもが簡単に情報発信をすることができる時代で、その中で隙間というのがどこにあるのか、というより、隙間がどんどんなくなってきているような感覚もあり、今までのようにニッチなところを注目していく考え方ってどうなのかな、とも思うようになってきています。というより、今まで通り狙って隙間に食い込む方法論も古くなっていくのかな、とも感じています。

それでも隙間を探すのがうまい人はそこへいくでしょうし、バランス感に長けている人はそこへいくでしょうし、ということには変わりないんですけど、きっとまた新しい考え方もでてくるんだろうなというところですね。

まぁそれがなんなのかは自分にはわからないんですけどね。ですが時代は一周回って、いいものはいい、というわかりやすい時代になっていくような気がしています。

求められる真髄

00年代以降、情報が増えるようになってからは、全てのジャンルにおいて情報を右から左へ回すということだけでお金を得ることができるようなところもありました。

いわゆるキュレーションサイトなんかもそうですし、転載まとめ系の動画コンテンツもそうですし、表面を変えながらすさまじい勢いで情報が量産されていった感があります。

今後は、その中でいかにオリジナリティを出していけるかというものが重要になっていくのかもしれません。自分は00年代はどちらかというとそういったネット化における情報量産について悲観的な意見を持っていた側ではありましたが、自分の予想に反したところは、ユーザー側が大量の情報の海の中でオリジナリティやクオリティを求めるようになってきた、というところです。無法地帯のころを知っているものとしては、精神面も含め、ユーザーが成長し、市場が熟成されていったように感じます。

これは音楽などでもあてはまり、ある意味難しく、ある意味わかりやすいシーンになっていくようにも思えます。

究極のニッチというのは、言い方を変えればオリジナリティとも呼べるのかもしれません。そしてまた、量と質の両方が求められる時代になるでしょう。世の中の変化のスピードも速く、狙って何かをするとか、隙間を探すというよりかは、打ち出しながらきちんと自分でブランド化させていける能力が何事においても大事になっていくのかな、とぼんやり思っています。

今日は最近感じている雑感、でした。