本田圭佑選手が「宿題をやる意味」について投げかけ、大きな話題になっています。
今、こちら無料で聞けるので、興味ある方はぜひ聞いてみてください。
宿題に意味があったのかわからない
結局のところ、人生レベルで考えると、何かを人から受動的に学ぶことよりも、自分から能動的に学ぶという姿勢はとても大事ですし、最終的には自分で能動的に学んだことのほうが多いように思えます。
本田選手は宿題だけではなく、成績表を含む教育現場への疑問の投げかけでしたが、極論としては言っていることは頷けます。
自分自身も夏休みの宿題はもちろんやりましたけど、それが具体的にどのような知識となり、自分の人生の糧になっているのか、あまりイメージはありません。たぶんあの宿題があってもなくても、自分の人生にどれだけの差があったのか、これもイメージできません。ぶっちゃけ、そんな変わらないような気も。
勉強という意味では非効率
いわゆる”学力”だけをポイントにするのであれば、少なくとも自分にとっては学校の宿題がゼロだったとしても、なにも変わらないと思います。結局のところ宿題があろうとなかろうと、受験勉強がある限り、勉強はしなきゃいけないわけです。
ただ焦点を受験にするのであれば、学校の宿題(夏休みなど)というのは画一的な思い出もあり、自分の苦手な科目を重点的に勉強したいものです。そうなると、やはり自分の勉強は自分で決めるべきという形のほうが効率的です。
また、学校の夏休みなどの宿題は、始まる前に終わらせることも、毎日コツコツやることも、最終日に慌ててやることもできます。どういったやりかたで終わらせるかというのがあまりにもフリーダムですので、学習という意味でどれだけ効果があるのか、宿題の内容も含めて疑問に思うことはあります。
意味だけではない意味
とはいえ、じゃあ自分が子供たちに学校の宿題は嫌ならやらなくていい、ということを言うかというと、言いません。むしろ、宿題はやれといいます。
人生には何事においても、意味のないことをやらなければならないこともあります。
自分はどちらかというと非効率なものや無意味なものに価値を見出す生き方をしていまして、人や電車を待つ時間であったり、遠回りして移動するとか、そういったことを排除しない生き方をしています。
これは勉強でもそうで、日本国民全員がサイン、コサイン、タンジェントを勉強する意味があるかどうかと言われればないですが、それが勉強しなくていい理由にはならないと思っています。
学校の宿題も、直接的な意味がどれだけあるのかを考えるより、そういった意味のないタスクをこなす、という意味もあるのかなと思っています。
日本の教育システムについてはいろいろな意見があるでしょうし、戦前から基本的な方針は変わっておらず、兵隊を作るための機関、と揶揄する人もいます。夏休みの無駄な宿題なんかも、まさにこの一環だ、といいたい気持ちもわからないでもないです。
特に今はシステム化された社会に加え、自己責任論や個人主義もよしとされる時代です。こういった宿題に対して疑問視する意見が出るのも当然です。
しかし、意味だけではない、理屈だけではないものも人生にはある、ということを学ぶという意味では、夏休みの宿題というのはまさに人生の象徴ということで、しっかりとそれくらいはこなしてもいいのかなと思います。正直なところ、子供たちがこれからの人生で待っている嫌で理屈だけじゃないことは、もっと山のようにありますからね。
子供に関する発言には注意を
自分もブログで子供に関する発言をすることがあります。とはいえ、自分の場合は読者に小学生や中学生はかなり少ないと思われますので、どちらかというとそういった子供がいらっしゃる大人に向けた発言になっています。
しかし、TwitterなどSNSでの発信はそれ自体が大人も子供も目にするものであり、武藤選手が指摘するように、本田選手がそういっているから宿題なんてしなくていいんだ、と考える子供がでてきてもおかしくありません。
自分の考えとしてはやはりこれについては武藤選手の側かなと思っています。
本田選手と武藤選手のやり取りについては記事にもなっていました。
本田圭佑「宿題は嫌ならやらんでいい」に武藤嘉紀が待った「それは非常に危険」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース
総じて子供というのは想像以上にバカでして、自分の都合のいいところだけを切り取り、自分の都合のいい解釈をする生き物です。本当に優秀な一部の子供は、一見無意味と思われる学校の宿題をきちんとこなしたうえで、空いた時間で自分なりのスキルアップのための行動をとります。そうじゃない大半の人は、宿題がなければ、空いた時間を別のことに活用できるかというと、できないわけです。
自分はどうしても学校に行きたくないとか、宿題をしたくないという子供に対しては、スタンスとしてはむしろ行かなくていいし、しなくてもいいと思っています。ですがそれはごくわずかの子供に対してであり、宿題というのは普通に考えてみんなやりたくないし、嫌なわけです。宿題をしようとすると吐き気が止まらないくらいの子供ならやらなくていいと思いますが、普通の嫌くらいではダメです。
宿題というのもたしかに分量はそれなりにありますが、自分の人生が無駄になるほどの量ではありません。長い人生、無駄なことや嫌なこともやらなくてはならない時もある、ということを知るための宿題なのかなと思っています。
大人の一部の人間の中で嫌なことを一切やらず、無駄なことを一切やらず成功している人もいますが、そういう優秀な人も子供の時はこんなの無駄だな、と思いながら宿題をやっていたのです。
子供たちはしっかり宿題をやりましょう!