ここで問われる、近未来のプライバシーの在り方


先日、緊急事態宣言終了後の経済活動に対して、国内パスポートというのが話題になりました。

これは県外へ移動する際の通行手形になるようなもので、むやみやたらの遠出を防ぐという意味での発案だと思われます。

移動ありきの社会

これは国内レベルでも世界レベルでも同じですが、世の中は移動ありきで成り立っています。

自動車、飛行機などが登場し人間はより簡単に遠出できるようになりましたが、人間というのはホモサピエンス以前の時代より、予想以上の距離を移動しているといわれています。

コロナだからといって、じゃあいきなり移動禁止!みたいに世界がなっては成り立たないわけです。

むやみやたらの移動をしないように国内パスポートを、というのはたしかに一理ありますが、現実的ではないでしょうね。県境に壁を設置したり関所を作るわけにもいきませんし。

プライバシーと感染症

そもそもなぜ移動を制限するべきかというと、移動することによってコロナの患者がまた別の地域へ広がらないようにするのが目的です。

例え遠方に移動したとしても、確実にその発症した人の行動を追跡できるのであれば、かなりの濃厚接触者をあぶりだすことはできます。

前にもお話した、すれ違い通信によるコロナ患者との接触についてのシステムですが、こちらも順調に前へ進んでいるようです。

こんなの平時では絶対に実現不可能じゃないかというほどのプライバシーの侵害ではありますが、こういった感染症の広がりを抑えるという意味ではやはり有効ですし、なんだかんだで今後は標準搭載されていくものなのかなと思っています。コロナにも、コロナ以外の病気でも使えそうなシステムですしね。

たしかになんか通知で「あなたはコロナの患者と何日の何時ごろ、電車で近くにいました」みたいなこと言われたらちょっと嫌な感じではありますけど、もしかしたらそんな生活にも慣れてしまうほど、世の中が変わるかもしれません。もっとも、そのころには薬などもできていて、今みたいに二週間の隔離をみたいな形ではなく、じゃあこの薬を飲んでくださいとか、そんな感じかもしれませんね。

プライバシーについては自分自身もオープンにはしたくないという気持ちがありながらも、矛盾していますがプライバシーは緩和したほうが世の中は便利になるんだろうな、と思うことがあります。

難しい線引きですが、こういったコロナのような出来事がきっかけになって少し動くんだろうな、と思っています。