誹謗中傷の件でなにかと話題のSNSではありますが、やはりSNSというのはいかに生活に密着した存在なのか、思い知らされます。
最近気になったSNSがらみのニュースから、これからのSNSの取る道について考えてみたいと思います。
不謹慎系YouTuber
ここのところなにかと悲惨な時間や出来事のあと、必ずといっていいほど湧いてでてくる存在があります。
それが不謹慎系のYouTube動画投稿です。
いわゆる不謹慎系YouTuberなんて言葉まで存在していますが、「これは〇〇の兄です、この度は申し訳ございませんでした~」みたいな動画を投稿するというだけの内容です。
見ている人のほとんどはそれがネタだとわかっているわけですが、例えば有名な芸能人が亡くなった直後などはその名前で検索する人も多く、知らない人も動画を見てくれるというメリットもあります。
不謹慎系YouTuberについては撮影の手間なども少なく、量産も可能で数字が稼げるというメリットがあります。ですが、ここまで大きな話題になってしまうとさすがにバッシングも大きいものがあったのでしょう。
手越さんの件に関しては「手越祐也の赤の他人ですが、この度は~」という動画タイトルになっており、話題になっていました。内容の詳細は見てないのでわかりません!
不謹慎系についてはYouTube側がもっと規制するべきなのではないか、という意見も多くでています。
YouTube側としては再生数が稼げる以上、それにより広告収入も得られるわけでお金的には削除したくない気持ちもあれど、SNSの健全化はもはや今後の市場価値を高めるためにも必須であり、削除したいところもあるでしょうね。ただ、どこからどこまでを不謹慎、不適切と判断するのか、という根本的な線引きの悩みもあるかもしれません。
今後の対応や動きにも注目です。
トランプ大統領、怒る
トランプ大統領のツイートに対し、Twitter側で真偽確認のマークをつけるということが話題になりました。
これは真偽がわからない情報に対して、確認マークをつけることでデマ拡散を防止するためにTwitterが取り組んでいることではありますが、まさかトランプ大統領のツイートにそれをつけるのかということで話題になり、そしてトランプ大統領が怒るという出来事がありました。
トランプ大統領は以前よりFacebookについても怒っていて、SNSを閉鎖するぞ、みたいなことも言っているようです。
Twitterとしてもうっかりそのマークを付けたわけでもなく、信念を通したという見方もできますが、たしかに政治的な偏りに関してはどれだけ公平であるか、透明性についても立場を表明するのは難しそうで、この問題も一過性のものにしてはいけないように感じます。
今回、日本でもTwitterで政治的な立場を問う出来事がありましたが、あれにもしTwitter自体に日本の政治的な立場の取り方があるとすれば、その数字を左右させることも疑われてしまいます。
SNSの役割
不適切なものを排除したり、真偽確認のマークをつけたりというのもSNSの大事な仕事だと思いますが、場合によっては言論統制に近いものもありますよね。極端に言えば、例えばTwitterでTwitterをぼろクソに批判するツイートをしたらそれが削除されるのか、という話にもつながりかねません。
SNSはただのツールなのか、社会性を持ちユーザーをコントロールすべきかなのか、現在は後者へ進んでいます。自分としても、後者の方がいいとは思っていますが、そこに恣意的なものを感じたくはありませんよね。
自分自身がSNSやNoteなどのブログサービスを使わず、手間とお金をかけてなぜ独自ドメイン、サーバーからアヤノ.メをやっているかというお話も以前したことがありますが、自分の発信に対して、永遠にどこかの会社のフィルターを通したくないという思いでそうしています。
ツールとして発展したSNSですが、数年前より転換期を迎えています。ここにきて一気に加速しそうな気配もありますね。