改めて考える「エタヒニン」についての話


先日、とあるアイドルの方が生放送中に問題発言があったということで、活動自粛というニュースがありました。

詳細はこちらの記事に記載されています。

“不適切発言”で活動自粛のアイドル、なにが問題?「悪意があったわけじゃない」処分に賛否 – ライブドアニュース

抜粋します。

 「問題となっている不適切発言は、配信の中で『丁寧な暮らしをする餓鬼』をテーマにしたガチャガチャフィギュアを紹介する際のもの。配信を見ていたファンによると、春名はその餓鬼を説明する際に、『えたひにんみたいな感じ』と発言したそうです。その場では発言は問題視されなかったものの、配信を見ていたファンがコメント欄で発言を指摘し、徐々に問題となっていったようです」(芸能ライター)

https://news.livedoor.com/article/detail/19642882/

なるほど、餓鬼を説明する際に「えたひにんみたいな感じ」と発言したというところだけ切り取ると、アウトかセーフかと言えば、アウトですね。

しかし全体の文脈から、本人が本当に心の底から「えたひにんみたいな感じ」と思ったかどうかを考えると、違うようにも思えます。

エタヒニンとはなにか

性格には「穢多」「非人」といいます。

エタ、ヒニン、で文字の変換すらできません。

日本には明治時代になるまで士農工商という身分制度がありました。4つの身分に分けられているというイメージもありますが、実際にはこの4つの中にも含まれない人がいます。

それが「穢多」「非人」です。身分というか、階層というか。

もう少し詳しくみていきましょう。

「非人」は文字通り、人に非ざる、ということ。人じゃない、ということです。

「穢多」は見慣れない感じかもしれませんね。穢れが多い、ということです。けがれ、です。

穢れが多いということで、死にまつわる職業についていました。中世では動物の皮を扱う仕事に就き、動物の死骸なども扱うことから、川沿いで暮らす人が多かったともいわれています。

平安時代からこういった身分差別が始まり、明治時代まで身分制度が存在し、続いていました。その後は身分制度としてはなくなったものの、心の中に残った差別はなくなりません。

こういった身分の低い人たちが集まってできた集落を部落と呼び、部落出身者は就職で採用しない、もしくは結婚を認めないといった差別はその後も根強く残っています。この令和の世の中でさえ、一部ではこういった差別も残っています。

また、こういった差別のことを同和問題という言い方もします。

忘却か、理解か

差別問題についてはこのブログでも何度か触れたことがあります。

解決法については二つしかないと思っています。

それが忘却、もしくは深い理解です。向かう方法は真逆です。

実は今自分が住んでいる東京23区内の某所は、歴史を調べてみるといわゆる「部落」にあたる場所のようです。真偽は不明ですが。

ですが、自分はもちろんそんなこと気にしていませんし、たぶんここに住んでいる住人はそんなことすら知らない人ばかりだと思います。もちろん、自分自身がこの理由で誰かから差別されることはありません。

まぁでもこれは東京だからかもしれません。地域によってはまだ差別される場所がある、ということです。もちろん東京でもこういった差別意識は一部ではまだ残っていると言われています。自分自身は東京で暮らしていてそういった場面に直面したことはありませんが、気づいてないだけかもしれません。

ネットを駆使しても、今は日本全国のどこの地域がいわゆる「部落」なのかを調べることはできません。自分の場合も、数少ない資料を見ていてたまたまそういった記述があったのを見ただけで、それが本当に正しい情報なのかはわかりません。

現在は「えたひにん」という言葉すら使われなくなり、言葉狩りも進み、もしかしたらそのうちこういった差別があったことすら忘れてしまうかもしれません。差別があったことを全員が忘れてしまえば、差別はなくなります。

しかしこれはこれで根本的な解決になっているかというと、なってませんよね。現代社会の触れてはならないタブーのような存在になっている同和問題にさらに踏み込み、理解を深めることで差別意識をなくすことも大事です。ただ、こういうことを安易に広めることで過去の差別問題を知り、また再び差別しはじめる人がでてくる可能性も。難しい問題です。

日本は全体として忘却の道を歩んでいるのかなと思います。このなんでも調べられるネット社会でも、この問題に対してあまり情報が出てこなくなりました。昔はもう少し出てきたようにも思えるので、Googleも配慮してるのかもしれません。

今回の一件は、あらためていい問題提起になっていると思います。黒人差別などアメリカで話題になったときに、日本では差別がないという意見も多くみられました。いやいや、女性が差別されているじゃないか!という意見もその後多くでましたが、この同和問題についてはあまり見かけませんでした。

差別の歴史を受け止め、深く理解し乗り越えていかないと、また次の新しい差別問題に直面することになるような気もします。今は女性蔑視問題も話題になっている日本ですが、本当の意味で差別をなくしていくためには、見たくない過去に向き合いながら理解していくしかないようにも思えます。