松屋で食い逃げ


ネタにマジレス、というテーマについて非常に興味深い記事がありました。

「井戸に毒を入れた」に批判 「ネタにマジレス」と苦笑する闇 – ライブドアニュース

ネットで得る情報が多いからこそ、こういった問題もちゃんと全体で考えていかなければなりません。

松屋で食い逃げ

松屋は食券制ですので、お金を払ってから食べ物が出てくる仕組みになっています。つまり松屋で食い逃げは、理論上不可能なわけです。

つまり、これはジョークとなるわけです。

記事内に「バイデン大統領が松屋で食い逃げ」というネタに対しての説明がありました。

これはぜひ実際に読んでもらいたいですが、そもそもバイデン大統領が松屋に行くはずがないし、そもそも松屋で食い逃げはできないし、ということで、ネット上でのネタとなるわけです。

でもこれが少し発展して「彩雨が松屋で食い逃げ」とすると、もしかしたらネタとして受け止められない人がいるかもしれないですよね。

同様に、「バイデン大統領が井戸に毒を入れた」というネタについても解説してありました。これは災害時に朝鮮人が井戸に毒を入れたという、関東大震災で起きたデマが元ネタです。

これもまた同様にネタであることは理解できますが、主語がバイデン大統領でなければネタにならないかもしれません。

このネタにしていい存在かどうかという話も記事内で触れられており、これもなかなか面白い話でした。

ネットでのネタは難しい

こういうネットでのネタは、難しいです。ジョークを言いあうこと自体を全否定するつもりもありません。しかしどこからどこまでがOKで、どこからどこまでがNGか、この線引きラインはリアルと違って、空気感が読めないところが難しいんですよね。

リアルだとその場でしかないわけで空気的にOKでも、ネットだとそれがリツイートされると、空気感がない状態で情報だけが伝わります。

また、Twitterの難しいところは、仲間内だけで会話をしているような気になってしまうということなんですよね。実は全世界に発信されている情報という感覚がつかみにくく、ネタをネタとして共有できる空間の境目が少ないということです。

これは都市伝説系の拡散でも同じようなことが言えます。そういった意味でも、Twitterと都市伝説って相性が悪いんですよね。

逆に、こういったネタの相性がいいのは、いわゆる掲示板系です。空気感が固定されるからでしょうね。あとは動画のコメントなどですね。

ネタにマジレスするな、って話は、全てにおいて通用するわけではありません。こういうのもまた、移り変わるネット文化の中で養っていかなければならないリテラシーなのでしょう。