その1では、ミャンマーはどこにあるのか、ミャンマーの話を簡単にさせてもらいました。
その2では、もう少しミャンマーの歴史を探ってみたいと思います。
独立への歴史
ミャンマーのことをあまり知らない日本人でも、アウンサンスーチーという名前は聞いたことある人が多いかもしれません。
ミャンマーは長い間、イギリスの支配下にありました。ミャンマーに限らず、あの時代は多くの国がイギリスの支配下にありましたけども。
そんなミャンマーも近代以降、第一次世界大戦あたりになると、独立の機運が高まってきます。
そんな中、ミャンマーに大きな転機が訪れます。それが第二次世界大戦です。
当時イケイケだった日本軍は、東南アジアを攻めます。当然ミャンマーもその対象であり、日本軍はミャンマー侵略にも力を注ぎました。
この動きをミャンマーの独立勢力は利用します。日本軍と協力し、イギリス軍を追っ払い、日本の後押しもあってビルマ国を設立します。これが1942年のことです。ちなみにこの時、イギリス軍と戦ったビルマ独立義勇軍を率いていたのが、アウンサン将軍です。アウンサンスーチー氏の父親です。
この時代、ミャンマーは動きが激しいです。
その後、第二次世界大戦が激化すると、みなさんもご存じの通り、日本は劣勢になります。その動きを読み切ったのが、アウンサン将軍です。
軍を率いてクーデターを起こし、今度はイギリス側について日本とビルマ国を倒します。ビルマ国については、独立というより、日本の傀儡政権であるという見方も強かったようですね。
しかしこういう書き方をするとアウンサン将軍ってなんだよって思う人もいるかもしれませんが、アウンサン将軍は近代日本をミャンマー独立の一つのモデルケースとして考えていたようで、親日家としても知られています。アウンサン将軍が親日家なので、ミャンマーは親日派が多いという話もあるくらいです。
第二次世界大戦の戦況やパワーバランスが大きく揺れる中、ミャンマーのために最良の選択肢を模索した結果なのだと考えます。
その後すぐにイギリスはミャンマーの独立を認めませんでした。第二次世界大戦も終わり、世界各国で独立の機運が高まる中、1947年にアウンサン将軍は暗殺されてしまいます。
そして1948年にビルマ連邦として、ようやくイギリスから独立することになります。その裏にはアウンサン将軍のイギリスとの外交努力もあり、今でも独立の父として紙幣にも使われるなど、ミャンマーでは超有名人物です。
ミャンマーと軍事政権
独立もできこれでミャンマーも安泰か、という話になるかというと、そうでもありません。
1962年にはミャンマー国軍がまたクーデターを起こし、政権を完全掌握します。この時の軍のトップがネ・ウィン将軍です。なんとこのあと、1988年まで強い力を維持し続けることになり、しばらくずっとこのネ・ウィン将軍による軍事政権体制が続きます。
しかし時代は80年代後半。世界中で民主化運動が激化していきます。社会主義体制をとり、中国の影響も強かったミャンマーですが、中国でも1989年に天安門事件が起きます。世の中的には民主化がトレンドです。
そしてミャンマーの民主化運動をリードしていた人こそ、アウンサンスーチー氏です。
その流れの中、1990年に久しぶりに選挙をやろうということになります。しかし1989年にアウンサンスーチー氏は軍によって軟禁されることになります。1990年の選挙ではアウンサンスーチー氏率いる民主化勢力が選挙で大勝するものの、軍は政権を譲りませんでした。
このあたりから、ミャンマーがさらにややこしくなります。
ミャンマーの問題を考える上で難しいところは、民主化したい!という気持ちがありながらも、国自体は軍の力が非常に強い仕組みになっているところです。
この問題が、現在起きている問題につながっていきます。続きは次回に!