今日は9月19日です。
世の中にはいろいろな記念日がありますが、実は今日は苗字の日です。
苗字の日とは
苗字(名字)というのは、今更説明する必要もないでしょう。
ちなみに苗字と名字は意味としては同じですが、もともとは名字とされています。
個人的にも名字のほうをよく使うので、このブログでは名字の表記でいきますね。
名字を日本人が持つようになったのは、平安時代後期です。
しかしその頃は誰もが持っていたわけではありません。
誰もが持つことができるようになったのは、1870年からです。
時代は江戸時代から明治時代になったころ、新しい政府が近代化を進めていく上で必要だったのが、戸籍制度です。
その戸籍制度をわかりやすくするために必要だったのが、名字です。
もしかしたらコンピュータやインターネットが先に発達していたら、名字という概念は必要なかったかもしれません。
全てはマイナンバーで管理できることですからね。
たかが150年の歴史
2700年弱にも及ぶ日本の長い歴史の中で、一般市民が名字を持つようになって150年ほどしか経っていません。
これから長く続く日本の歴史を考えても、まだまだルール変更可能な存在です。
名字についてはたしかに家という概念を強く打つ出すことに成功しましたが、それによる弊害も出てきました。
夫婦別姓という意見が生まれてくるのもまた、その弊害の一つです。今は良くても、後々の世の中にはそぐわない存在となってくる可能性もあります。
今回の総裁選では、具体的にこの夫婦別姓についても焦点に上がっていますね。
夫婦別姓を導入することにより、家の制度が壊れると主張する考え方があります。
これはたしかにそうで、今までのような家に関する概念はある程度変わってくることになるでしょう。それがいいことなのか、悪いことなのかという議論はさておき。
そもそも、国民総背番号制の本格導入により、本質的には家どころか名字そのものの概念自体がすでに不必要になってしまっているのでしょうね。あとは昔の名残で不毛な議論を続けているだけです。
夫婦別姓について賛成の意見も、反対の意見も、自分に言わせてみればどちらも古い価値観での議論のように感じています。
今は夫婦別姓など言われていますが、今後は自然と「夫婦創姓」なんて考え方も生まれてくるのではないかと思いますよ。そうすれば子供の名字はどうするんだ問題も解決ですしね。
ぶっちゃけマイナンバーがあれば、日本国民の名前は全員山田三郎でもいいんですよ。名前どころか性別だってなんでもいいはず。
早くマイナンバーをゴリゴリに整備したら、みんな幸せになれるのにな。まぁそうもいかないところが難しいところですけど。