QUESTIONより
先日、テレビ番組を観ていた際にとある女優さんが「心というものは人間のどこに存在するのか」(脳内なのか心臓のあたりなのか)というお話しをしていてとても面白い問いだなと思いました。 彩雨先生はどちらだと思いますか?
心がどこに存在するのか、これは興味深いテーマですね。このテーマはしばしばアニメや漫画などでも取り上げられます。「エンジェルハート」や「エリアの騎士」は心臓に心がある(記憶がある)というテーマで進んでいく話でした。逆に体が最終的に脳だけになり、残りはサイボーグでどうにかなる的な漫画もあります。
心はどこにあるのか
心のある場所については、それこそ古代からテーマになっていました。心臓にあるという人、脳にあるという人、また、心臓でも脳でもなく”心”という場所があるのではないか、という人など、さまざまです。地域によっては肝臓に心があると考えていたところもあるそうです。
日本では一般的には心臓にあると言われています。心の臓と書くくらいですからね。やまとことばでは”こころ”の「ここ」は心臓の鼓動、「ろ」は場所を意味するようで、やはり心臓のあるところが「こころ」という認識だったのでしょう。
移植で記憶が、なんて事例も?
臓器移植によって、好きなものや趣味が変わるという事例があるそうです。ですが、基本的に病院はドナーについての情報を明かすことはできないため、変わったものが前のドナーの影響によるものなのか判別するのは難しくなっています。
90年代に移植前のドナーの記憶が蘇り、ドナーの家族と対面したというニュースがありました。心臓に記憶が宿るという考え方はこのあたりから加速度的に派生したように思えます。
ロマンある話だとは思いますが、医学的に実証されている話ではありません。
正直よくわからない
心はあくまで心、体はあくまで体と、精神的な部分と肉体的な部分を分ける考え方もありますね。デカルトの心身二元論もそういえばそんな感じだったかな。ちょっとスピリチュアル的な領域に入ってくるとますますわからなくなりそう。
心臓か脳かの二択ならば、その人がその人であるというアイデンティティを心とするのであれば、やはり心は心臓じゃなくて脳にあるのかなー、とは思いますけどね。
記憶は脳の中で、海馬と大脳皮質によって管理され呼び起こされる、というのは一般的な解釈であると思います。ただ記憶に比べて「心」というのはもう少し漠然としたものですよね。今は頭部移植なんて研究もされているようですが、もし本当に頭部を移植したら心がどっちにあるのかわかるのかもしれませんが、そういうことでもないような気も。