先日、総理大臣を決めるための内閣総理大臣指名選挙が行われました。
昼間だったのでテレビで見ていた人は少ないかもしれませんが、衆議院、参議院の国会議員が、直接指名で名前を書いて投票を行うというイベントです。
これでトップになった人が総理大臣になります。
一般的には与党の党首が選ばれます。もし連立政権だけで大多数を確保できないと、総理大臣が変わります。
四十日抗争
基本的には、自分が所属している党首に投票を行います。
先日の選挙では野党議員が高市早苗氏に入れたり、共産党、社民党が枝野氏に投票するということもありました。
この内閣総理大臣指名選挙、基本的にはミラクルは起きません。
先日の選挙で、岸田総理以外の人が選ばれる可能性は1%もなかったでしょう。
しかし、過去にミラクルが起こりかかったことがありました。
それが1979年に起きた自民党でのいざこざです。
40日間かけて行われていたいざこざということで、四十日抗争と呼ばれてます。
自民党が選挙で大敗してしまい、それを理由に2つに割れかけてしまったということがおきました。
当時の総裁、首相であった大平一派と、福田一派に分かれ、首相指名の選挙で自民党から二人にわかれ票が入ることになり、決選投票となりました。
結果大平一派が勝って大平内閣が継続することになりました。
このブログを書くにあたり、昔のニュース番組とかどこかでアーカイブされていたらいいのにな、と思いました。
60年代、70年代、80年代のニュース番組とか、YouTubeとかでアーカイブしたらけっこう見る人いそうですよね。
権利上難しいかな。
最近はなくなった抗争
四十日抗争の際はバリケードを作って抵抗するというようなこともありました。
当時活躍したのがハマコーで有名な浜田幸一議員です。テレビでもこのシーンは有名です。
最近そういったことってなくなったなぁと思いますが、加藤の乱というのもありましたね。
20年ほど前、加藤紘一議員が森首相に対して反旗を翻す出来事がありました。
しかしこちらも失敗に終わりました。
ちなみに岸田総理は当時この加藤の乱に参加していました。
自民党と野党でやり合うシーンは数年前の強行採決でもありましたが、こういった自民党内での抗争は最近はありませんね。
もうそういう時代でもないのか、誰かがうまく党内バランスを保つよう配慮しているのか。
まぁでも時代もありそうですよね。野球も乱闘なくなったし、街中の路上も昔よりも安全ですしね。
岸田総理は、先に述べた加藤の乱の教訓として、「政治家として勝負をかけたときは、絶対に負け戦をしてはダメだ」としています。人の話を聞くことを特技と上げている岸田政権下では、昔のような党内抗争は起こることはないでしょう。
おとなしい、という印象を持つ人もいるでしょうが、社会は安定、安全が一番です。