中学、高校は、一部の私立学校を除き、大半へ制服があります。
しかしこの制服、実は公式呼称は標準服とも言われています。
制服と標準服
標準服というのは、これを着用することが望ましい、ということを意味します。
しかし事実上標準服というのは、これを着なさいという制服として扱われているケースが多いです。
昔と違い、なにかと個性が尊重されるようになってきています。
流れとしてはありそうだなという話ですが、学生服を強制するべきではないという主張もあります。
それがこちらの記事です。
学生服を強制しないで 校則通りに、保護者ら要望「同調圧力の縮図」(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース
同調圧力の縮図かどうかはさておき、たしかに一通りそろえるとお金もそれなりにかかります。
わからんでもないかなというところも。
帰属意識と強制
制服がなぜ必要かについては、いろいろ理由があると思います。
みんなが同じ服を着ることによって、誰が上でも誰が下でもない、という意識を植え付けることもできます。
なにより学校への帰属意識というものもあるのかなと。
とはいえ、帰属意識がないとダメなのか、という話にもなりかねません。
そもそも、そういったものは強制するものでもないですからね。
日本人でも日の丸を掲げたくない人もいますし、学生でもそこの学校のエンブレムをつけたくない人もいるのでしょう。
とはいえ、じゃあ完全に私服にしていいじゃないか、という意見に対して、自分自身素直にそうだと言えないところがあります。
まぁ古い人間だからかもしれませんが。
お金の問題だけでもない
この制服問題は、ややこしいことにお金が原因なのか、意識的なところが原因なのか、LGBTが原因なのか、あらゆる問題が絡み合っています。
お金の問題はたしかにお金はかかるし、もっとユニクロとかが制服ビジネスに参入したらいいのにな、とは思っています。
LGBTにしても、スカートをはきたくない人もいるだろうし、そこは理解をしていますけど。
それとは別のベクトルで制服はやだって話になると、そもそも制服とはなんぞやという話になってきますよね。
そもそも論の話をすると、おそらく制服が必要な理由というのは古い感覚になって、議論したらちょっと負けてしまいそうです。
それでもなんとなく、自分の中には制服って大事だよねと思う気持ちがあるのはなんででしょう。
これを言語化できると、他の分野でもいろいろ通じる考え方なんだろうなとは思うのですが。