「女の敵は女」マイメロ炎上に考える多様性


マイメログッズが、少し問題になっています。

どんなことがあったのでしょうか。

マイメログッズが炎上

登場するキャラクターのセリフをグッズに投影させたものとなっています。

記事はこちらです。

「女の敵は女」物議のマイメログッズが発売中止に サンリオが決定「今後の商品企画に活かしていく」(J-CASTニュース) – Yahoo!ニュース

そのセリフの中には「女の敵は、いつだって女なのよ」など、女らしさ、男らしさのようなテーマに触れる、ちょっとエグめの言葉遣いが多く見られます。

なるほど、当時はそういうキャラで受け止められていたものも、今の時代ではそういう受け止め方はされなくなってきているのでしょう。

サンリオのコメントとして「このたび頂きましたご意見は、今後の商品企画に活かして参ります」とありますが、サンリオに限らず企業は、あまり安易に男や女といったテーマには触れないほうが安全かもしれません。

いつぞやのコンビニでの「お母さん食堂」を思い出しました。

お互いに寛容にはなれない社会

とはいえ、男はこうあるべき、女はこうあるべきという強すぎる社会への先入観については、自分も同じようによくないとは思います。

先日もVoicyでランドセルの話をしましたが、こういった時代感覚的なものは変化してきています。

その一方で、お互いに寛容にならなければ、ほんとうの意味での多様性は訪れません。

今の世の中は、寛容とは程遠い状態にあります。

このやり方では、いびつな形のよくわからない社会になってしまいます。

とはいえ、自分もこう書いておきながら、ほんとうの意味での多様性はいつまでも訪れないのかな、という諦めの気持ちも芽生え始めています。

人間とは傲慢でわがままな生き物です。

お互いに寛容になるというのは、お互いに不利益や不都合、生きづらさを共有するということでもあります。

政治家やマスコミ、一部の活動家はユートピアかのような言い方をしますが、実際はディストピアです。

人間はこれを社会の中で受け入れることはできるのでしょうか。