彩雨さんは魚が食べられない世界で生きたくない


彩雨さんは魚が好きです。焼肉に行くか寿司屋に行くかという選択肢なら、迷わず寿司屋に行きます。

このブログでも食糧問題についてはたびたび書いてますが、水産資源についても決して未来永劫安泰な状況ではありません。

魚が食べられなくなる時代など、とても想像できませんが本当にやってくるのでしょうか。

世界中で魚ブーム

現在、魚ブームが起きています。ここ50年で魚介類の消費量は2倍になったといわれています。

ヨーロッパでの魚の消費量が増え、昨今は日本食ブームもあり、さらに消費を伸ばしています。中国でも魚の消費量が増えており、日本近郊の魚が減っているという話もあります。

水産資源は有限なもの、きちんと計画的に漁業を行わないと生態系にも影響を与えてしまいます。

さらには立て続けの異常気象もあり、漁獲量のさらなる減少も予想されています。

魚を作る工場

魚には天然物、養殖物、とあります。養殖技術が向上し、庶民でも魚を食べられるようになりました。養殖というと人工的なイメージがありますが、それでも実際の自然の中で育てられています。

現在、魚を工場で作るという研究も進められています。養殖とはまた違う仕組みで、実際の海で育てるのではなく、工場の中で育てられます。

水も海水ではなく、水道水に薬を入れ、擬似的な海を作ります。海水を運び維持するより、水道水を使う方がコストが安く済みます。

魚を工場で生産することができれば、水産資源を守るだけでなく、気候の影響も心配ありません。安定した魚介類の供給が可能になります。

精神的な二つの懸念

技術的に安価で可能なのか、という問題もあります。ただ、それとは別に魚の工場生産は二つの精神的な懸念があります。

一つは、魚という生き物を工場で生産していいのかという、倫理的な問題です。もやしやキノコは工場で作っていますが、魚となるとそれに対して抵抗感のある人もいることでしょう。魚がかわいそう、という声もあるかもしれません。

もう一つは、自然環境でないところで育った魚を食べることについての抵抗感です。以前、遺伝子組み換え食品について多くの懸念が消費者にあり、かなり厳しく表記されるようになりましたね。今回のものは魚の遺伝子を組み替えるわけではありませんが、似たような懸念、不安が消費者の間で巻き起こる可能性もあるかもしれないです。

そこまでして魚を食べる必要があるのか

そこまでして、魚を食べる必要があるのか、という意見もあるかもしれないです。人間が必要とするタンパク源としては、魚より肉の方が安価に取れると言われています。また、さらに安価に取れるのが昆虫です。魚は人間が生きるだけなら無理に食べる必要のないものかもしれません。

しかし、そういう問題でもないのがこの人間社会というものです。なぜなら、彩雨さんは魚が好きだからです。

天然の水産資源を守りながら、安価に食卓に魚を並べることができる時代が続くことを祈ります。