根強い死刑廃止論、なぜ死刑は存在するのだろうか


2008年に起きた秋葉原での事件。

とてもショッキングな出来事でしたね。

死刑が執行されました。

根強い死刑廃止論

死刑のある国は意外と少なく、先進国だとアメリカや中国が死刑制度は存続されていますが、ヨーロッパ諸国では廃止となっています。

韓国は制度としては存続しているものの、事実上凍結となっています。

宗教上の関係もあるでしょうが、イスラム圏は死刑については存続している傾向もありますね。

死刑については廃止論も根強く議論されています。

その理由は、当然ながら人権問題です。

将来的にはどうなるかわかりませんが、日本では今の段階では死刑廃止の方向へ向かっている本格的な議論は進んでいないように思えます。

死刑はなぜあるのか

死刑はなぜあるのか。これを理屈で説明するのはとても難しいです。

人の命をたくさん奪ったのだから、死刑になって当然だ、という考え方があります。

目には目を、というやつです。余談ですが、目には目をは旧約聖書に書いてあります。

本当はそういう意味ではないとも聞きますが、それはまた別の機会に。

遺族のことを考えると当然だ、という考え方もありますね。

明治になってから仇討ちが禁止となり、死刑によってのみ復讐されるのだ、という感じですね。

しかし、このあたりは感情論的な考え方であり、理屈ではありません。

死刑があることで、死刑になるのが嫌だから犯罪を抑制することができる、という考え方があります。

なにやったって死ぬわけじゃないし、なんて犯罪者が思うことで凶悪な事件が発生するということです。

その一方で、供述で死刑になりたかったというものもあるので、難しいところ。

そこまでしていいのか、という悩み

法律は人が作ったものです。

神様が死刑というのであれば誰も文句は言えませんが、法律を作るのも人。

判決を下すのも人。執行の命を下すのも人。

ボタンを押すのも人。

神様が命を奪うわけではなく、人が命を奪うことになります。

どんな状況であれ、人が人の命を奪う権利があるのか、ないのか。

これを感情論抜きで説明するのはとても難しいです。

感情論ありなら賛成ですけど、この社会は感情を律することで高度化しています。

自分自身、死刑制度の是非については意見を決めかねています。

今回は大きな話題となった事件の死刑だっただけに、死刑制度についての意見もネットで散見できます。

死刑を存続するにしろ、廃止にするにしろ、なかなか全体で一致する考え方を示すのは難しそうですね。