日本人は無宗教?日本と宗教の歴史を考えてみる


銃撃事件以降、統一教会をめぐる論争が増えています。

奇しくも凶弾がこの論争に繋がったということも皮肉ですが。

宗教のイメージ

日本はもともと、宗教について懐疑的な考えを持つ人が多いです。

仏教、神道がベースでありながら、クリスマスなどキリスト教文化も生活になじみ、その一方で自分がはっきりとどの宗教に属しているかをあまり感じていません。

そのような中で起きた、オウム真理教によるテロ。

911からのアフガン戦争。そしてイスラム国による国際的なテロ。

宗教は怪しい、というイメージが強く印象に残ってしまいます。

今回の件もまた、宗教そのものに対して懐疑的な気持ちを助長するものになってしまうかもしれません。

日本と宗教の歴史

いつをもって日本か、とするのは難しいです。日本はいつからあるのか。

日本古来の神様というと、天照大御神のイメージがありますよね。

そうなると、やはり神武天皇から始まったこの歴史を日本とするのであれば、その先祖にあたる神様が日本を作ったわけで、やはり古事記、日本書紀をルーツとした考え方が、もともとあった宗教観なのでしょうか。

その一方で、じゃあ古事記や日本書紀が編纂された時代に、一般人が天照大御神を神様として崇めていたかというと、ちょっと違うような気もします。

なにか絶対的な存在を中心とした宗教観は、どちらかというと西洋的な考え方ですよね。

当時は自然現象などあらゆるところに存在する八百万の神々を信仰する、アミニズム的な宗教観だったのかなと思います。

まあでも太陽の神様と思えば、間違ってはいないのだろうか。あのころはとにかくいろんな神様が登場しますからね。

仏教が輸入され、その後は神道と仏教がどこか融合するような形で日本に馴染むようになりました。

明治時代になれば、時の政策にも絡め、天皇、神道の形が変わっていき、廃仏毀釈ということで仏教は虐げられていきます。

といいながらも、戦後はやはり神道と仏教が融合しているようなスタイルは感覚的には継続されていますよね。

お寺と神社の違いを意識的に感じている人は少なそう。

キリスト教に関しては、入ってくるのが遅かったので、神道や仏教徒の絡みはあまりないような印象もあります。

日本の宗教観、彩雨の宗教観

良くも悪くも、多くの宗教のいいとこどりをしているような日本。

その上でなんとなく無宗教だと思っている人が多い日本。でも多くの人がお墓にはいる日本。

海外のカテゴライズで当てはめてしまうと不思議な見え方もされてしまいそうです。

自分自身は〇〇教ですと言えるようなものもないし、生活の中で特に宗教的なものを意識的に取り入れることもありません。

とはいえ、無宗教ではないと思うんですよね。

この感覚を言語化できると、宗教とはなにか、なぜ必要なのかをもう少し理解できそうな気もしています。

今日はなにかまとまった話があるわけではないのですが、なんとなく最近宗教なんてクソだ的な考え方が増えてる気がして、それが気になってツラツラと書きました。