QUESTIONより
最近、時間を巻き戻して友達を助けたり事件を解決していくバタフライ効果を題材にしたゲームの実況動画を見ました。 彩雨さんはバタフライ効果(ほんの些細な事が、徐々にとんでもない大きな現象の引き金に繋がるかという考え)をどう思いますか?
地球の裏側で蝶が羽ばたいたその小さな風が、回りまわってハリケーンになると、そういう例えでバタフライエフェクトという言い方をします。実際に蝶の羽ばたきがハリケーンになるのかどうかは別として、小さなことが回りまわって大きなことになるという考え方は各地であります。
日本では風が吹けば桶屋が儲かるといいますね。
風が吹くと土ぼこりがたって目に入り盲人が増える。 盲人は三味線で生計を立てようとするから、三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える。 猫が減るとねずみが増え、ねずみが桶をかじるから桶屋がもうかって喜ぶということ。 大風が吹けば桶屋が喜ぶ。
(引用:コトバンクより)
個人的にはこういう考え方はとても好きです。
世の中はバタフライエフェクトの積み重ね
基本的に、世の中には「たられば」はありません。とはいえ、もし〇〇が〇〇だったら…といろいろなことを考えたくなるものです。
シュタインズゲートでは過去に戻っていろんなことをしても結局未来は変えられない、という苦悩のシーンがでてきます。同じような題材はいろいろな作品でも登場しますね。
もしヒトラーが存在しなければ、いや、もしヒトラーが存在していても当初の希望通り画家になっていたら、第二次世界大戦や大虐殺は起きなかったかもしれません。しかし、その結果、ほかの人がもっと悲惨な戦争を起こしていたかもしれません。画家になっていても、回りまわってヒトラーは政治家になったかもしれません。
ただ、実際は繰り返しになりますが「たられば」はないので、こういった考え方をするのはナンセンスでもあります。
人生もバタフライエフェクトの積み重ね
人と人の出会いというのもバタフライエフェクトの積み重ねです。例えば大学入試で高熱を出して落ちる、なんてこともあるかもしれません。もし高熱を出していなければ、違う人生を歩んでいたかもしれませんね。だけど、そこで熱を出したからこそ、今が楽しい人生だった可能性もあります。
こういった人生の分かれ道は無数に存在しています。例えば醤油が切れて慌てて買い物に出かけたら車にひかれて死ぬとか。でも醤油が切れて慌てて買い物にでかけて、その場でノリで買った宝くじが当たって人生変わるとか。
無数の選択肢の末に、今が存在するわけです。まさに奇跡ですね。
まぁそうやって考えていくとどつぼにもハマってしまうわけです。
例えばもしうちの醤油が切れて車で買い物に出かけるとして、交差点で自分の車がたまたま信号の先頭だったから起きなかった事故があるかもしれません。もしそのときうちの醤油が切れてなかったら、誰かが事故で死んでいたということです。その日の夕食で刺身を食べようと思わなかったら、醤油が切れているのに気づかず車を出さず、誰かが死んだということです。
もうキリがないですね。なので、こういう考え方をするのもまたナンセンスです。
世界線の移動はできない
残念ながら、僕らは世界線の移動をすることができません。なので、こういったたらればを考える意味はないのです。
しかし、自分の世界線は自分で紡いでいくしかありません。自分自身も、多くの選択肢の結果で今があります。自分の人生もまたバタフライエフェクトの積み重ねなのです。