彩雨さん、梅田を歩く


先日もブログに書きましたが、今回のツアーは大阪で少し自由時間がありまして、ちょっとだけ街をぶらぶらしていました。

いつも宿泊するホテルは行くたびに変わるので、大阪にはよく行きますけど、毎回けっこう新鮮です。大阪というのは、本当に広い街です。

今回は梅田近辺でした。

梅田駅=大阪駅でいいの?

梅田という地名はもちろん知っていましたが、行くようになったのはバンドをやるようになってからです。そして、それまで梅田駅と大阪駅は別物だと思っていました。というより、梅田がどこにあるのかわかってなかったんですけど。

この梅田駅というのは、超巨大な駅です。近辺の駅まで含めて考えると、なんと10路線がひしめくといってもいい、大きな駅です。駅の周りをちょっと歩いてみようかな、と一周するのも大変です。

JRは大阪駅と表記されていますが、私鉄や地下鉄は梅田駅と表記されています。ちょっとややこしいですね。実は調べてみると、これには理由がありました。

明治維新後、アメリカの商社が大阪に鉄道を敷きたいという話があったそうです。大阪にとっては経済を活性化するチャンスだったのですが、この話は明治政府によって止められてしまいました。鉄道事業というのは国家のインフラですからね。あくまで政府主導で行いたいとのことです。

その後、明治政府は大阪駅を作り鉄道を敷くわけですが、地元の人達はそれを大阪駅とは言わずに梅田駅と呼ぶようになったそうです。これは一度鉄道計画をおじゃんにさせられた明治政府への反抗、と書いてある話がありました。本当なのかな?ちょっとわからないけど、興味深い話ですね。

そんなこんなで、JRは大阪駅、それ以外は梅田駅、もしくは梅田の名前がどこかにある駅名となっているのです。

梅田は埋田だった

梅田というのは田んぼしかないようなど田舎だったそうです。大阪の中心は中之島でした。中之島近辺にも宿泊したことありますが、あの辺りはめっちゃビジネス街って感じですよね!

埋田が転じて梅田になったそうです。梅は当て字なんですね。

なぜわざわざなにもないところに駅を作ったかというと、これは市街地に蒸気機関車を走らせるなんて!!っていうところもあったそうです。これに関してはどこの地域もこんな感じで、JRの主要駅があるところと江戸時代からの中心地が一致してないところのほうがむしろ多いんじゃないのか、ってくらいですから。

梅田はデパートが多い

それにしても、梅田はデパートが多いですね、東京でいうと、東京駅と日本橋がミックスされたような感じなんですかね。

デパートがこんなにもしっかり残っているところも減ってきました。

余談ですが、大阪って例えば梅田店だと東京だと梅田”てん”って言いそうじゃないですか。こっちだと梅田”みせ”っていうんです。

これは驚きですよ。以前、映像コメントをどこかのタワレコ用に撮ったときに初めてこれを知ってびっくりしました。

これには諸説あって、ちゃんとした理由はわからないそうです。ただ、「てん」より「みせ」のほうが親しみがあるから、なて話もあります。あとは、関西は関東よりも訓読みのほうが一般的に使われるそうです。○○本町は、関東だと「ほんちょう」、でも関西だと「ほんまち」なんていい方もしますからね。でも今でもこうやって「みせ」の言い方が残っているというところに、関西の人間味を感じます。

大阪は中世の頃より日本経済の中心地で、天下の台所なんて言われていました。それだけ多くの人とお金、ものが動いていた大都市なのでしょう。きっといろいろなところにそういった名残が残っているのかもしれませんね。