京都情報大学院大学の百万遍キャンパスは京都大学のすぐ近くです。昨日はちょうど京都大学で11月祭が行われていまして、たくさんの人がいました。
その中で、ちょっと気になるニュースがありますので紹介しますね。
「京大の文化」立て看板、景観条例違反指導で学生ら困惑(朝日新聞デジタル) – Yahoo!ニュース
京都大学というと超優秀な大学というイメージを持たれている方も多いでしょう。それは間違いないと思うのですが、それと同時にけっこう主張の激しい大学です。昨年も中核派の拠点にもなっている熊野寮に家宅捜索が入り、機動隊が突入するといったこともありました。
百万遍の交差点のところ、京都大学側には多くの立て看板があります。この前は11月祭の看板がたくさん出てましたが、時代によっては政治的主張も激しく打ち出されていたこともあり、ちょっと異様といえば異様な景色でもあります。
景観、とはなんなのか
さて、ここは日本国内外から多くの観光客が訪れる京都です。またここの百万遍の交差点は観光名所でもある銀閣寺へとつながる道でもあります。京都はセブンイレブンなど大手チェーンの店も京都の景観に合わせたデザインじゃないといけないなど、景観を損なうデザインには細かい規定があります。そんなところで、観光客がこの立て看板を見たらびっくりされるかもしれませんね。とくにまたさらに観光客が増加している昨今、景観についても敏感になっているのかもしれません。
しかし、景観とはなんなのでしょうか。
風情のある京都の街並みにいきなりシンデレラ城みたいなのが建つのであればわかるのですが、誰にとっての景観をなんのために守るのか、そのための景観条例のように思います。きっと京都で学生時代を過ごした方や京都に住んでおられる方は、京大に立て看板があるのは当たり前ですし、むしろこの立て看板こそが景観なんじゃないか、と思うのではないでしょうか。自分もこれについては、この行政指導はやりすぎなように感じていています。しかし、この報道によると周辺住民から景観条例違反ではないか、という苦情が来ているとありますね。このあたりどう折り合いをつけていくのでしょうか。
景観とは誰のもの?
景観を損なう、という社会問題は全国各地で起きています。特に高層マンションや派手な結婚式場の建設などでたびたび問題になりますね。そこに住んでいる人のためのものなのか、観光客のためのものなのか、もちろんケースバイケースだとは思います。
長くその土地の景観を保持したいという保守的な気持ちも分かれば、そもそも街というのは変化し移ろいゆくもの、その変化もまた都市が生き物のように躍動している証拠でもあります。
景観とは誰のものなのか、東京オリンピック前後、また日本各地でこの問題が再燃するかもしれないですね。