無観客でやる意味


コロナウイルスの驚異が世界中へ広がる中、この3月や4月にも多くの行事があります。

近いところでは311の追悼イベントもありますが、卒業式のような一生に一度のイベントもありますし、スポーツイベント、ライブなど興行イベント、送別会、歓迎会、お花見といったプライベート性の高いイベントもあります。

無観客でやる意味

とあるバンドマンの方のTwitterで、無観客でやるくらいならライブをやらない、という趣旨のものを読みました。

まぁ気持ちもわかります。自分自身は”体験”というのが社会を通じて大きな要素となっていると考えていまして、こういったネット社会だからこそ逆にこの”体験”というキーワードの重みが重要視されていくと考えています。

テレワークが叫ばれています。たしかに多くの仕事はテレワークで変えられることであることは理解していますが、実際に会うコミュニケーションとテレビ電話が完全に同じもの、という考え方は20年前で終わらせたほうがいいもので、将来的には危険があると考えています。

テクノロジー方面で考えるのであれば、ネットを通じながらもこの”体験”のパラメータを上げる方向へシフトしていくと思うので、より高画質で遅延がないテレビ電話、VRやARの導入なども鍵になっていくでしょう。

さて少し話がそれましたが、実は京都の講義も東京や札幌にも校舎がありまして、東京から配信することも可能、と打診されたことがありますが、それを断って京都へ足を運んでいます。自分自身もこういった配信型の講義のことは利便性も含めてとても理解していて、学生時代も予備校はこういったビデオ学習でしたし、今でもこういった映像で勉強することもあります。とはいえ、やはり学生たちの前でしゃべりたいな、と思うわけです。

ライブに関してもそうで、11日にはライブDVDも販売されますが、それを例えば生配信されたとして、ライブに行ったことにされるのはやはり心外だなと思う気持ちもあります。あの空間であの空気であの時間だから伝わる、理解することもあると思っています。

といいながらも、自分自身も多くのライブ映像を見ていますし、近年はライブビューイングなども盛んですがそういったメリットも理解していますし、このバランス感覚が大事なのかなと思います。

今はかなりレアケース

イタリアでは4月いっぱいまでスポーツイベントを無観客でやることが発表されました。日本でも相撲や高校野球は、今の感じだと中止ではなく無観客でやるかもしれません。

無観客だと力が発揮しにくい、やる気が出ないという話もちらほら聞こえてきそうですが、こういったスポーツイベントはDAZNやテレビ中継などもありますので、それだけでも利益が生まれます。長期化するリスクもあるので、選択肢としては無観客もありと思います。

ライブだとなかなか難しいところで、最初から映像のシューティングチームが入るようなライブなら生配信に切り替えることも可能でしょうが、普通のライブだとなかなか簡単なことではありません。iPhoneで後ろから撮った映像をそのまま垂れ流すことはできますけど、バンドマン視線だとあまり乗り気にはなれません。

こういったスポーツや音楽イベントを無観客で、というのはなかなかないケースです。正直なところ慣れている人などいませんよね。自分自身も、カメラの前で演奏したり話したりするより、皆さんの前でそれをやるほうがよほど楽しいです。

今はかなり特殊な状況です。イベントはできるけど無観客で、というのはこういったケース以外ではありえません。震災や戦争などだと中止ですからね。とはいえ、たとえ無観客でもそれを通じて喜んでくれる人もいることでしょう。

絶対こうじゃなきゃいけない、っていう考え方をまず僕らは排除していかなければならないということでしょうね。