QUESTIONより:彩雨の行動と価値観へのバッシングはあって当然、コロナへの価値観の違いを受け止める6月にしよう


QUESTIONより

友人にきいた話しです スーパーに行ったら 頭からすっぽり透明なビニール袋(ようするにゴミ袋)をかぶり 腰のところをしばり 口元に穴をあけてマスクをして買い物をしているおばさまがいたそうです コロナへの恐怖度も人それぞれですが そこまでするって感じですよね


これはなかなかですが、とはいえ髪の毛を触ったりするところから感染する可能性についても話はありましたので、一応理にかなっている…のでしょうか。

中国でも初期のころはいろいろな対策をする人が話題になっていましたが、6月以降は暑くなりますし、ビニール袋を被るのも大変ですね。

恐怖度の違い

飲み会をやることについての記事がありました。

居酒屋は解禁されていますので、以前のような飲み会を、形式上はやることができます。中身は少し対応は必要ですけどね。

しかし、それでも人が集まって飲み会をやるってどうなの、それに誘うのってどうなの、というのを気にする人もいます。

これはどちらも正解です。考え方の違いであり、価値観の違いです。

先日、バンドのニコ生で自分は「居酒屋に行きたい」という話を連呼しましたが、もちろん実際に行きたい気持ちもあるんですけど、心の奥底では、もう少し柔軟に自粛後の生活について世の中に対応してもらいたいという思いがあります。そのためあえて連呼をしましたが、視聴者の中でもしかしたらそれに対して嫌悪感を持った人もいたかもしれません。

もちろん、これはコロナを侮っているわけではありません。コロナと付き合いながら、これまでのようなライフスタイルを維持していくための方法を考えたいということです。

しかし、これは繰り返しになりますが、考え方の違いもあります。自分としては居酒屋生放送をしたいですが、それができるかどうかは、メンバーだけではなく見てくれるファンの方もみんなが同じ価値観を共有する必要があります。その強要はしたくありません。

先ほどのビニール袋の話もそうで、自分自身はビニール袋をかぶって買い物はしませんが、そういう人がいてもいいと思っています。

6月は変化の月

この話、言い方を変えて5月半ば以降から何度も何度もしていますね。

4月後半あたりだったか、5月前半あたりだったか、6月からは次のフェーズに入るという話をずっとしてきました。しかしあまりにも早い時期にこのフェーズの話をすると理解しにくいので、5月半ば以降まで待ってからするようにしていました。

この6月というのは、いろいろなことが動き出す月です。これまで何も言わずにじっと待機する3月、4月、5月でした。6月からは待機するもの、動くものの二つに分かれます。

これは国によって待機しろ、動けといわれ決めることではなく、全員が自分の意思をもって待機するか動くか決めるのです。

大きなことでは例えば経営しているお店を再開するかどうかということもそうで、資金繰りが厳しくなった会社を倒産させるかどうかの決断をする、ということもそうです。

小さいところでは、リモートからやはり電車に乗っての通勤に切り替えたり、これまで行かなかった飲食店へ足を運ぶかどうか、というのもそうです。

この6月は、待機側の人間と動く側の人間での価値観の相違が、新たな社会問題、社会的ストレスを生む一カ月となります。

彩雨の行動と価値観へのバッシングはあって当然

自分自身は緊急事態宣言発令後は、徹底して人に会わず、ステイホームを呼び続け、自粛をしていました。

しかし、解除後の現在は、先日も大好きな中本へ久しぶりに足を運びましたし、リアルの飲みの場へも足を運ぶようにしたいと思っています。このブログを書いている日の夜は、本当に何日ぶりだろうという、お店での生ビールを飲む予定です。

もちろん繰り返しになりますが、コロナを侮っているわけではありません。実は今日、夢で旅行にでかけたのはいいものの、行った先で発熱し声がでなくなる夢を見ました。自分自身、こんな夢を見るほどコロナをびびってるなと思い知らされました。これはコロナにかかること自体への恐怖心もありますし、病気だけではなく自分がコロナにかかることへの社会的不安という気持ちもかなり大きく持っています。

しかし、それでもここから先はやはり自分としては動く側の人間になりたいと思っています。健康管理や消毒、ソーシャルディスタンスはもちろん徹底して行いますが、その中でどれだけ動けるかを自分自身で考え、探る6月にしたいなと思っています。

ですが、いろんな考え方があってしかるべきです。今の時期にラーメン屋に行くなんてバカじゃないのか、という考え方を持つ人もいて当然です。自分自身、そう考える人を否定するつもりはありません。

ここから先は、それぞれの考え方をお互いに否定しあうのではなく、お互いに受け止めながら粛々と生活していく気持ちが大切だと思っています。ウィズコロナ、というのはその先にあるものです。