このブログでも何度か取り上げている、死とインターネットの問題は、今後の大きなテーマになっていきます。
今はまだ多くのネットユーザーは生きていますが、このまま10年、20年と経てば、亡くなる人も増えていきます。
そういった死後のアカウントをどう考えるかという問題です。
Googleについては、動きがないアカウントは2年で削除するという発表をすでに行っています。
しかしGoogleのアカウントはプライベートなものですので、関係あるとすれば遺族くらいですよね。ですが、公開されているTwitter、YouTubeなどのSNSはまた話は別です。
追悼アカウントのバッジ
Twitterは、これについて早速動きをみせました。
こういったところ、できる限り柔軟に対応してあげてもらいたいものです。
Twitter、追悼アカウントとbotアカウントのバッジを2021年に提供する計画を発表(ITmedia NEWS) – Yahoo!ニュース
来年から追悼アカウントということで、故人のアカウントにバッジを付けることを発表しました。
死んでしまったらアカウントまで消えてしまうのは寂しいですよね。Twitterが続く限り、その人が発信した内容が残るというのは、ファン、知人、家族にとっても嬉しいことでしょう。(本人がどう思うかは別として)
残す方法を探る方向へ進むのでは
自分の予想としては、死後のアカウントや公開されている動画、画像などについては、極力残す方向で進むのではないかと考えています。
ストレージなども技術向上により大容量化していますし、過去のデータはそこまで圧迫化の原因にはならないでしょう。
絵画、本なども故人のものが現代にも多く残っています。インターネットはそれが残しやすい環境ですので、それを存分に活かすべきです。
摩天楼オペラに関しても、きっと音楽データや画像、動画データは今後100年、200年とアーカイブされていくことになるでしょう。そう考えると、今はいい時代だなと思います。名前も音楽も検索できない音楽家は、この1000年の間にどれだけ存在していたことか。
しかしこれも以前書いたことがありますが、アヤノ.メに関しては別です。アヤノ.メは自分が死んだら、半年〜1年で消えます。これはもうどうにもなりません。個人でサイトを運営するというのは、そういうことですからね。
消える情報の価値も高まる
情報が残ることが前提にあるので、逆に消える情報への価値が高まります。
消える情報というと、いわゆるストーリー機能のようなものを想像する人も多いと思いますが、それもたしかにその1つです。もう一つは、やはりアーカイブ期間が少ない、もしくはゼロの生配信かなと思います。
それと究極的なところで、配信なしのリアルイベントです。昔はこれが当たり前ではあったんですが。
こういった消える情報への価値というのも、次のインターネット文化で新たなサービスが登場しそうな予感もします。