東日本大震災から10年、思い出すあの日の話


今日で東日本大震災から10年となります。

あの日

あの日のことはとてもよく覚えています。

メジャーデビューして初めての全国ツアーのファイナルが3月6日に赤坂BLITZにて行われました。

当時のニュース記事も、検索したら出てきました。

【摩天楼オペラ】『Abyss Tour Final』2011年3月6日 at 赤坂BLITZ | OKMusic

懐かしいですね。

その一カ月ほど前には仙台MACANAにも行っています。仙台MACANAは震災の影響で移転しリニューアルしましたが、旧仙台MACANAを訪れたのはその日が最後となりました。

全国ツアーも終わり、次の新曲に向けて楽曲制作をしよう、ということですぐに動き出しました。

その動き出した日が、3月11日でした。

地震の瞬間のこともよく覚えています。スタジオにいて、楽曲制作を始めているときでした。その時作っていたのは、その後のアルバムに収録される「アポトーシス」でした。

最初は地震かな、くらいな感じで「揺れてるね」って話をするくらいだったんですが、すぐに普通じゃない地震であることがわかります。大きなスピーカーが、見たことのない勢いで揺れています。

スタジオは地下だったので、外に出ました。木だけではなくビルも大きく揺れており、聞いたことがない警告音が街中に流れ、「ついにこの日がきたのか」と思いました。

実はこの時は関東大震災が来たのだと思っていたわけです。

その後、何度か大きい地震もあったので、スタジオは切り上げることにし、解散しました。機材車で新宿まで送ってもらい、機材車組と歩き組にわかれることになりました。

機材車はその後大渋滞に巻き込まれ、ものすごく帰宅に時間がかかったとのことでした。

新宿の大型ビジョンでニュースを見つつ、電車の動向を調べます。ただ幸いにしてまだ夕方でしたので、意を決して歩くことにしました。気温も3月とは言えそこまで寒くなかったのをよく覚えています。

当時はガラケーとiPhoneの2台持ちでした。非常時でしたので電波は悪く、iPhoneの地図アプリを広域で表示させ使いながら、ガラケーでワンセグでテレビを見つつ情報を得ていました。

途中で立ち寄ったコンビニは早くもすっからかんで、道路は見たこともないくらいの大渋滞です。路上でも多くの人が歩いていて、喫茶店が歩く人にコーヒーを無料で配っていました。たまに電車が動いていないかと何回か地下鉄の様子を見に行きましたが、動く気配もありません。

東京でも怖かったですが、東北にお住まいの方はさぞかし怖い体験をなされたことと思います。

その日は突然やってくる

これまで地震というと、その揺れと、それに伴う火災のイメージが強かったです。

阪神淡路大震災でも、津波や原発よりも、火災の方が大きく取り上げられていました。

この東日本大震災では、津波により多くの命が失われ、原発の問題点も強く露呈された形となりました。地震は複合的な災害であるということを改めて感じた震災だったと思います。

その数年後、熊本でも大きな地震がありました。日本は大きな地震が多い国だなと思い知らされます。実は日本は世界で起きるマグニチュード6以上の地震のうち、20%を占めると言われています。

いつ来るかわからないとずっと言われている、南海トラフ、東海沖地震、さらには関東大震災など、地震がない地域が日本にあるのか、と思うほどです。

その日は、突然やってきます。

東日本大震災から10年。教訓を次の時代に活かし、再びいつか来るその日に備えたいものです。