日本人もブルカ禁止について考えよう<その2 ライブハウスでブルカを着用するお客さんがいたらどう対応するか>


前回の続きです。

前回はブルカとはなにか、イスラム教の女性はなぜ髪を隠すのか、というお話をしました。

ここでは本題です。ブルカ禁止の流れが世界中で起こりつつあるということについてです。

ブルカ禁止を決めた理由

ブルカ禁止の国が増えつつあります。

フランス、ベルギー、オーストリアといった欧米諸国はかねてからブルカ禁止としており、最近はスイスも禁止となりました。

また同じく、スリランカも禁止にすることが決定となりました。

ブルカ禁止というよりかは、公共の場で全身を隠して歩いてはいけない、というものです。

国によってはこの宗教のこれがだめ、と具体的にいっているわけではないようですね。

とはいえ、実質的にはその対象はブルカです。

論点はどこにあるのか

イスラム過激派によるテロの問題、移民の問題などが理由としてあげられます。

あんな全身を覆って、自爆テロでも起こされたらどうするんだ、と考える人もいます。また、一部ではイスラム圏の移民が増えることへの懸念もあると言われています。

郷に入れば郷に従えで考えると、日本でもコンビニに入るときにフルフェイスのヘルメットを着用するのはダメですよね。おそらく宗教上の理由でフルフェイスのヘルメットをかぶらなきゃいけないといっても、ダメだと思います。

この理屈で考えると、おそらく日本のコンビニにブルカを着用した女性が入った場合、それはどうなるのか。

別にその宗教を否定するつもりはないけど、その国にはその国のモラルがあるんだから、コンビニのような公共の場では顔を出してくれ、という話になるのではれば、わかるような気もします。

しかしブルカ着用をするイスラム教徒にとっては、もしかしたら公共の場でブルカを脱ぐというのは、公共の場で裸になれ、というのと同じくらいの気持ちになるかもしれません。

そうなったときに、それを法律で決めるというのは行き過ぎなのではないか、と考えることもできます。

もちろん、自分にはブルカ着用を日常的にしているイスラム教徒の女友達がいるわけではないので、実際どう思うかはわかりません。しかしこういうのはだからどうということではなく、わからないならわからないなりに、勉強し、想像することが大事です。

日本でもいつかテーマになる

このブルカ着用についてですが、日本でもいずれテーマになります。

今後は世界中の人材が日本からも世界へ行くでしょうし、世界からも日本にたくさん来て仕事をするようになります。

そうなると、もっと近くにたくさんの考え方、価値観が存在することになります。

今はなにかと多様性という言葉が使われます。多様性という言葉はもっともらしく聞こえますが、民主主義は多数派の意見が尊重される考え方です。多様性と民主主義、相性が悪いんですよね。

例えば同じクラスにブルカを着用している女子がいた場合、どう校則はどうあるべきか。

隣でラーメンを食べているお客さんがブルカを着用していたら、お店のルールはどうあるべきか。

ライブハウスのお客さんにブルカを着用している方がいた場合、もしそういった問い合わせが来たら、バンドとしてどう返事をすべきなのか。

まぁ上記は全て例え話ですけども。

国際化、多様性を重視するのなら、こういったこともいつかは考えていかなければなりません。遠い国の話だけではないということです。

最後に二つほど。

人間ですから、馴染みのないもの、よくわからないものは怖いとどうしても感じてしまいます。

この問題は、ここでズバッと結論を言いきれるようなものではありません。しかし一つ言えるのは、知らないことを学び、想像し、考えること以外に未来への道はないということです。

もし海外のように、ブルカ着用禁止について日本で国民投票が行われた場合、みなさんはどちらに投票するでしょうか。

そしてもう一つ。

自分はイスラム教徒でもないし、イスラムについてどこかでちゃんと学んだわけではありません。

しかし自分も詳しいわけではないとはいえ、日本で暮らす多くのみなさんはもっとイスラムについて詳しくないと思います。

そう、お互いにわからないのです。

日本では、昔から詳しくないやつは語るな、という風潮があります。しかしその風潮は間違っています。

そこで大事なことは、わからないことは学び、そして理解し、ともに考えていく姿勢ということです。世界をよりよくしていく道は、なによりも学ぶことだと思います。

自分ももっとたくさん勉強したいなと思っています。これからはもっとアヤノ.メを通じて、一緒に勉強していくというスタンスを大事にしたいなと思っています。